声なき声に耳を傾けることが、無関心への最大の武器。Shannon Galpin 基調講演 #WDS2014
最初に一番重要な話を。人種差別、政治的弾圧、信教の自由への弾圧など、基本的人権の侵害は世界にあふれていますが、そのなかでも最も大多数で、最も代弁されることが少ないのが「女性に対する権利の侵害」です。数字でみてみましょう。
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年に1400万人の女性が、18歳未満で結婚を強制されています(ICRW調べ)
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人身売買されている女性の数は未成年者を含め年間400万人
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アメリカ合衆国内でレイプされる女性の数は年間24万ほど。報告のあるもののみ
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60%の性的虐待は報告されない
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女性に対するドメスティックバイオレンスは、もっともありふれた、しかし最も被害者が抑圧されている人権侵害。アメリカだけで年間400万人。生涯においては三人に一人が被害者となる。
こうした数字を前にして、問題のあまりの大きさに apathy つまり無関心を装ってしまうことはままあることです。身近の悪に対して行動をとることはできているつもりでも、問題の根に対してはあまりに自分が無力であると感じ、口を閉ざしてしまいがちなのです。
Shannon Galpin さんは、こうした apathy に対して立ち上がった人物です。彼女は女性の権利の活動家として、最も女性に対する抑圧が文化的に激しい、アフガニスタンにおいて活動を続けています。
でも彼女は私とも、あなたとも変わらない、普通の一個人です。なにが彼女を apathy に立ち向かわせるのでしょう?### 活動家も、性的虐待の被害者も apathy にとらわれる
Shannon さんは講演の中で、ほんとうにさりげなく、その件には触れたくないかのように、「わたしもこの数字の一人なのです。私の姉妹もまた」と語りました。
アメリカで年間にレイプされる24万人もの女性の一人なのだと、数千人が見守る壇上で告げたのです。私は自分の耳が信じられませんでしたし、ちゃんと誤解なく聞き取れているのだと気づいたときに身体が熱くなるような怒りを感じました。これはまったく、とんでもない話です。
しかし、と彼女は続けます。被害者も、そして女性の権利の活動家でさえも、耳をふさぎ、何も感じないようにして apathy のなかで過ごそうとしてしまう瞬間があるのだと。
彼女が自分の人生の暗いエピソードと向き合い、自分の声を取り戻して立ち向かうことができるまでには何年もかかりました。その沈黙を破るきっかけとなったのが女優Lily Tomlinさんのこの言葉です。
「いったい誰かが、この状況をなんとかしないのか? といつも思っていたある日、気づいたのです。その誰かとは、自分のことだと」
どこかにこの巨大な問題に対抗すべき大きな力をもった人がいるわけでも、それにふさわしい人がいるわけでもなく、「自分の問題なんだ」と気づいた人が自分の声を上げることに意味があるのだということです。
Shannonさんはそうした認識から、アフガニスタンにおける女性の権利を促進する活動に身を投じ、さまざまな聞き取りや、アートエグゼビションなどの催しを開催してきました。2009年にはアフガニスタンで初めてマウンテンバイクで走行する女性となり(かの国では女性が自転車にのることが厳しい目でみられます)、2010年にはPanjshir Valleyを自転車で横断し、同様の大会をアメリカなどで開催しました。その様子は彼女の団体、Mountain2Mountain で詳しく知ることができます。
あえて紛争地帯で、女性が抑圧されている地域で活動することは、かつての自分、「声」をもつことがなかった人々の声を探し求める活動に他なりません。
カンダハールの女性刑務所に彼女が訪問した時のことです。ここに収監されているのは、多くの場合強制的な結婚から逃れようとした罪に問われた女性や、レイプの被害者が「誘惑した」などといった濡れ衣を着せられたケースです。
こうした声なき声を持つ人々に聞き取りを行なうと、通訳の人が翻訳しきれないほどの勢いで女性たちは一気に自分の心の内面を打ち明けてきたのだそうです。これまで、彼女たちの「声」に耳を傾ける人はいませんでした。しかし聞く耳をもった人がそこに現れたら、その声のほとばしりは止まるところを知らなかったのです。
World Domination Summit には、それぞれ自分のやりかたで「世界を変えたい」と願う人々も多く参加しています。そんな人々に Shannon さんは、声をもたない人の声に耳を傾けること、それだけでも世界は変えうるのだと訴えたのでした。
小さなことから
アフガニスタンで活動家にならずとも、できることはいくらでもあると Shannon さんはいいます。
たとえばアメリカでは先日、パーティーでレイプされたティーンエージャーが、なすすべもなく倒れている様子を撮影された写真が SNS で共有され、彼女のポーズを模倣して写真をハッシュタグつきで投稿するという世にも恥知らずな出来事がありました。
このティーンエージャーは勇気を出して地元のテレビでこれはレイプであったこと、それを SNS で広めることの不正義について訴えるという行動に出ます。
すると、このハッシュタグに対抗して、「これは不正義だ」「私はこの女の子を支援する」と表明するカウンターのハッシュタグが自然発生的に登場して、バイラルに広がりました。
小さなことかもしれません。しかしこうして不正義に対して「否」を突きつけるツイート一つでさえも、世界を小さな方法で変えることができますし、自分の中に巣食う apathy を追い出す力になるのです。
Shannonさんのこの言葉に、聴衆はスタンディングオベーションで賛同を示しました。
世界を変える勇気
世界を変えるというのは、なにか巨大な力や、大きな才能、あるいは選ばれた誰かがおこなうものだと私たちは錯覚しがちです。
しかし実際は、普通にしていたならば無視してしまう、目をつぶってしまう、耳を塞いでしまうなにかに注目し、小さなアクションを起こせるかどうかなのだということを Shannon さんのスピーチは教えてくれます。
みなさんの身近にもそうした小さなチャンスはないでしょうか? ほんの少し声をあげるだけで、変わることはないでしょうか?
もしよければこの記事についても、WDS の日本語グループでコメントいただければ幸いです。