一流の研究者と「80:20の法則」の落とし穴
過去 50 年間、私がいま従事している研究分野の一角を独力で作り上げてきた「伝説の研究者」がいます。
その研究者の先生と私の勤務している大学とは共同研究の約束をとりかわしていますので、年に一、二度、先生はアメリカから来日して、私は同じ部屋で二人きりで仕事をさせていただくというぜいたくな時間を過ごすことができています。
今、この先生が何度目かの来日をされていて、私も本格的に先生との共同研究に入りつつあります。もう宿題の多いこと多いこと。そして一日の半分が議論で消えてゆくのですから、忙しいこと忙しいこと。
でも時折、先生は長い研究生活から学んだ経験をふとした拍子に口にしてくださいます。
あえて名前は出していませんが、私の分野の同僚はこの記事を読んだだけで「あの人でしょ?」と一発でわかる、いつもエネルギーにあふれた先生との日常から切り出した話題をご紹介します。
新しいテーマに挑む時の 80:20 の法則の「落とし穴」
「もうその研究はされている、とおっしゃいますが、それはどういう意味ですかな?」
先生の最近の口癖はこれです。いま日本の研究の現場では、大型プロジェクト研究が主流になっている反面、このプロジェクトのなかでテーマが切り分けられて、「テーマ A を担当しているなら、テーマ B はやってはダメ。その担当の人の領域だから」といった風潮もなきにしもあらずです。分業と言えば聞こえは良いのですが、官僚的と言えなくもない。先生はこれを「唾付け」と表現して嫌悪を隠しません。
あるテーマに先生が興味を抱かれると、ときどき残念ながら「その研究は○○という研究所でやっていて、うちは手をだせない(or 出さない方が無難)のです」と口にせざるを得ないこともあるのですが、それに先生は大変不満そう。「その人は本当にその現象をよく見たのですか?」と繰り返し訊かれます。(私に訊かれても…)
先生が不満なのは自分でその現象をもっと徹底的に調べ上げたいという気持ちが抑えられないからのようです。
研究は常に最前線で戦うものです。だからこそ楽しいのですが、一方で、先生に言わせれば新しい仕事、新しい領域において何が最も重要であるかはよくよく目を凝らして、考え抜かないと見えてこないのだそうです。
「『多分、こういうことだろう…』と思って、最初から思い込みでデータを見るでしょう? すると、その当てはたいてい外れてしまうのです!」
「何が重要かは、手をつける前にはわからないことの方が多いのです。テーマを切り分けてささっとやっておしまいというわけにはいきませんよ!」
一時代を築いてきた人の言葉と思うと、なんだか感じるところがあります。
このことは、新しい仕事の場合80:20の法則で仕事の価値の 80% を生み出している場所に集中しようと思っても、それがどこにあるかは事前にはわからないので、高い確率で無駄が発生するのだと言い換えてもいいかもしれません。
本質を「直視」しないことが自己不信を招く
過去の経験に頼って「このへんが落としどころだろう」と思って作業をしていると、実は別の本質を見逃していたなどということになりかねません。有名な錯視の絵で、若い女性の画像に目を奪われて老婆の姿が見えないのと同じように…。
こうしたことが続くと、仕事のクオリティ自体が下がるという害もありますが、もっと不都合なのは**「自分自身への不信」が生まれてしまう点にある**のだと先生はいいます。
「『ま、ここは手を抜いてもいいだろう』」ということが5回も続くとします。すると自分で自分が手を抜いていることを知っていますので、自分の仕事に対する不信感が拭えなくなってくるんです。これがいけない」
「そうこうするうちに、その仕事をしている自分自身が嫌になってくる。これでは、自分のために落とし穴を掘っているようなものですな!」
新しい仕事であれば特にそうですが、「どこがその仕事の価値を生み出している部分か」をしっかりと確信が持てるまで上から下まで眺め渡すことなのだと先生はいいます。
そして、モチベーションが高く維持できる部分で仕事をすることなのだということです。「結果がでるからモチベーションが上がる」のもいいですが、たいてい「モチベーションが高くなる方向 = 価値がある」という方向も成り立つのだそうです。
「経験を頼って楽な方向に流されないで、困難でも面白いと思ったことをそのままやった方が結局トータルでみれば楽だし、楽しいですよ」と言われているような気がしました。
先生「で、他のひとのいうことは放っておいて、このテーマをこの大学で進められませんかな?」
私「もう宿題を同時に4つももらっているのでこのへんにさせてください…」
p.s.
先生とのつきあいはまだしばらく続きそうですので、また続報ご期待ください。過去の先生のご活躍は以下から参照できます。こちらもあわせてどうぞ!