集中力を取り戻すために、デジタルから離れるルールを作る

「人間の悲惨はすべて、静かな部屋で独りで座っていられないことから生じている」と「パンセ」に書いたのはブレーズ・パスカルでした。

そしてこの含蓄深い言葉は、孤独であること、座って自分自身と向き合うこと、思考することの意味を問いかけます。しかしここに、「静けさ」という条件が加わっていて、私たちはいま容易にこの状態を確保することができません。

静かなようでいながら、常にスマートフォンの通知にさらされ、新しいメールがもたらす割り込みの危険にさらされ、集中力を削ぎ落とすことを目的にデザインされたツールを使って、私たちは不可能なバランスを要求されています。

「最後に集中を保つことができたのはいつだったか」「集中力を取り戻したい」そうした思いを抱いて、一ヶ月にわたってネットから自分を隔絶させた体験について、Flipboard のデザインに携わり、エッセイや書籍が日本でも知られているクレイグ・モド氏が Medium で記事を公開しています。

集中力が保てないのは、意志の弱さではない

よく言われるのは、集中することができないのは意志が弱いからで、もしやる気があるならすぐにでも目の前の仕事に集中したり、リラックスして心を雑念から開放できるはずだという主張です。

あるいは、そうした集中状態に達するためにポモドーロ・テクニックが役に立つ、マインドフルネスが役に立つといった具合にテクニックを磨くことが必要だというのもよく聞く話です。

クレイグ・モド氏のエッセイは、もちろんテクニックの有用性や、自分の意志の弱さを認識した上で、それでもいまの世界と、ツールの有り様は集中力を保てない罠になっていることを指摘します。

When the scale of our systems with which we interact breaches our comprehension, and control of attention is weakened en masse, the opportunity for manipulation arises.

私たちが触れるシステムが認識の枠を大きく越えるとき、集中力に対するコントロールは弱められ、私たちは操られる可能性が高まる。 テレビのうえですべてのチャンネルを見ることができた時代、あるいはすべてのニュース記事に目を通すことができた時代に比べると、ツイッターは24時間ずっと触っていても限界がありませんし、メディアの量も際限がありません。

そして、その際限のない情報の流れになるべく長く触れさせるために、ありとあらゆるデザインが、利便性をうたう通知が、アルゴリズムによってプッシュされてくる次の何かが私たちの判断を鈍らせます。

Flipboard のデザイナーに言われてしまうとおしまいだというところもあるのですが、彼はそれを十分わかったうえで言ってるのでしょう。

境界を生み出すルールだけが効果をもつ

結果的に、かれは自分が特権的に恵まれていることを認識しつつ、アメリカ大統領選挙のあとの精神的危機を逃れるようにしてバージニア州にある別荘地に一ヶ月間こもることになりました。

There is a qualitative and quantitative difference between a day that begins with a little exercise, a book, meditation, a good meal, a thoughtful walk, and the start of a day that begins with a smartphone in bed.

朝一番にスマートフォンをチェックするのではなく、少しの運動と、読書と瞑想、そしてよい食事に散歩から始まる一日は、質的にも、量的にも、違いがあった。 しかしその自由も、別荘地から戻ってオンラインになったとたんにすぐに危機に陥ります。そこで彼は、普段の生活でもオフラインの状態を生み出すルールを導入することにしました。

それは、1. 就寝前にネットから接続を離れる、2. 次に接続していいのは翌日の昼食後、というルールです。こうして、境界を生み出すことで、時間のなかにおける自分をとりもどしているわけです。

システムは上手をとっている

この話題で特に面白いのは、より生産性が高く、より多くの情報を得ている状態と思いがちなネットとスマートフォンの上で過ごす時間が、まるで私たち自身の魂を喰ってしまう副作用がある魔法のように、使えば使うほどある時点から有用性が逓減してしまうという点です。

このあたりは、元Google社員で、いまはそうした中毒性のあるシステムから離れて真に有用性を担保する指標作りを提唱するTime Well Spentプロジェクトのトリスタン・ハリス氏についての記事などが参考になるはずです。

“You could say that it’s my responsibility” to exert self-control when it comes to digital usage, he explains, “but that’s not acknowledging that there’s a thousand people on the other side of the screen whose job is to break down whatever responsibility I can maintain.” In short, we’ve lost control of our relationship with technology because technology has become better at controlling us.

「デジタルなものの使用については自分の意志次第というひともいるかもしれないが、それは画面の向こう側に何千人もの人があなたの意志を打ち砕くことを専門に仕事をしていることを度外視している」とハリス氏はいいます。端的にいうと、私たちがテクノロジーとの関係において自己コントロールを失っているのは、テクノロジーが私たちをコントロールするのに長けてきたからとも言える。 だからこそ、「ここが国境線だぞ」という境目をつくり、そこから先はじっくりとした思考に、読書に、ただ考えから開放された無為な時間にあてるルール作りが、瀬戸際戦略として有効になるのです。

クレイグ・モド氏はエッセイをこうまとめます。

Attention is a muscle. It must be exercised. Though, attention is duplicitous — it doesn’t feel like a muscle. And exercising it doesn’t result in an appreciably healthier looking body. But it does result in a sense of grounding, feeling rational, control of your emotions — a healthy mind.

集中力は筋肉のようで、それは使われなければ衰退してしまう。しかし集中力の見た目は筋肉っぽくない。使っても、健全さがすぐに取り戻されるわけではないからだ。しかし集中力を行使することで、地に足の着いた、理性的で感情のコントロールができている感覚は増してゆく。それが、健全な頭脳なのだ。 多くの人は、昼休みまでネットを遮断することは難しいでしょう。そうしたら、どこに国境線は敷かれるべきなのでしょうか? どこに私たちは集中力を確保するルールを適用すればいいのでしょうか?

この話題、まだまだ続きます。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。