一流の研究者の歩いている時間。あるいは「iPod を捨てよ、町へ出よう」

unplugged.jpg 伝説的な研究者の先生と机を並べて一ヶ月。毎日のディスカッションについていくだけでも大変ですが、その内容を Hipster PDA に走り書きし、Moleskine にキャプチャーするだけで毎日 20 分ほどの時間がかかっています。おかげで今月始めた手帳の消費の早いこと、早いこと。

そんな先生は私よりもたいてい早くオフィスに着いています。いつもの集中力で、あとからきた私に 15 分くらいは気づいていませんので、そのスキに自分の仕事を必死で始める毎日です。

しかし先日、私が出勤すると珍しくもオフィスの扉が開け放たれたまま、鞄とノートパソコンを残してどこにもいらっしゃらないということがありました。不思議に思っていると、30分もした頃に息を切らした先生が汗を流しながらやってきました。

先生「いやぁ、メガネを忘れてね!」 私 「….!!(なぜ走る必要がっ!)」

iPod を捨てよ、町へ出よう

しかし先生の表情は楽しくて仕方がないようすでした。

「いやね mehori さん、若い頃はこんなことがあると、『ああ、三十分も無駄にした。なんてもったいないことを!』 と、思っていたものです。しかしね、いまは歩いている最中にいろんなことを考えるのです。そしたら良いアイディアが次から次へと思い浮かぶのですよ」

こうしたことは、以前先生にお会いしたときにもありました。

そのとき発表を控えていた先生は「考えがまとまらないのでひとっ走り走ってきます」と口にして部屋を飛び出していき、しばらくたったらやはり汗を流しながら戻ってきて「まとまりましたよ!」と嬉しそうにしていたのでした。

これが私に深い印象を与えて、去年から私は一つの習慣を試してみることに決めたのでした。

それは、以前は iPod を聞きながら歩いていた自宅までの帰路を、まったく音楽を聞かず、あらかじめ決めた一つのテーマについて考えながら歩いてみるという習慣です。

最初は、歩いていてもこの一つのテーマから考えが逸れていってしまい、とりとめもない考えばかりが次から次へと現れては消えるばかりで、思考はまとまるどころか千々に乱れてしまいました。そこで三つの改善を施してみました。それは、

  • Hipster PDA の表紙にそのときの考え事のテーマを大書して、それをちらちらと見ながら歩く

  • 思いついたことは、その場で立ち止まってメモする

  • 考え事が複数の項目にわたる場合、項目の数だけ、指を折りながら覚えておく

この改善のおかげで、何か一つのことをある程度長い時間考えられるように、すこしづつクセがつくようになりました。逆にいえば、それまでの自分が何か一つのことを長くても5分くらいしか考えていなかったことに慄然としたのでした。

iPod を置き去りにして数日のうちに、歩いている間も次にやるべきことのプランニングをしたり、リラックスしたいなら思考に空白を作り出したりということができるようになってきました。

説明しづらいのですが、それまで iPod の繰り出す音楽のペースと目的地を目指す視線の間に蒸発していた時間が取り戻せたような、不思議な感覚です。このコツをつかんでからは、iPod を持って行くべきときと、そうでないときを意識的に選ぶようになりました。

汗が引いてきた先生は、おいしそうに冷たいお茶を飲みながら続けて言いました。

「人生の良いことは未来にあると若い頃はおもっていたものですが、今はですね、『今』しかないのだと思いますよ。今考えていることが一番楽しいですな」

今日は仕事になりそうにないな、と思いながら手帳を取り出す私も同感でした。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。