繰り返し語るたびに自分の声をもてるようになる

Recurrence

最近、一つの回帰をネット上でよくみかけます。一つ一つは偶然に過ぎません。でもあわせて考えれば、それはひとつの大きな潮目のようなものなのです。

たとえば Google+ で紹介されたこの記事があります。

A man sat at a metro station in Washington DC and started to play the violin; it was a cold January morning. He played six Bach pieces for about 45 minutes. During that time, since it was rush hour, it was calculated that 1,100 people went through the station, most of them on their way to work.

ワシントンDCの地下鉄駅でバイオリンを弾く男がいた。それは寒い1月の朝のことで、彼は45分にわたって6曲のバッハを演奏した。ラッシュアワー時だったその時間の間に、約1100人の仕事に通う人々がその駅を通過した。

案の定、ほとんど誰も彼の演奏を聞くために足をとめることがなかったこの男は実はジョシュア・ベル、当代きってのバイオリン奏者で、弾いていたのは名器ストラディバリウスだったという話題です。すばらしい演奏でも、それは忙しい通勤客の足をとめることはできないのか、芸術とは何か、というひとつの実験です。

実はこの記事、もう5年もまえにアメリカのネットで話題になり、このブログが始まった頃に「地下鉄構内にストラディヴァリウスの音色」という記事で紹介したものなのです。

ここで私がいいたいのは、「自分のほうが先に紹介していた」ということではありません。むしろ、ネットの話題が一巡して、チャンスがもう一度廻っていると感じさせられる機会が最近増えているということです。### 「最初」に意味はない。「自分の声」でない限り

これと似た話題を、今日イベントでお会いしたブログ Find the meaning of my life@kazumoto さんからきいて驚いてしまいました。

先日の「整理術を悟ればストックはフローへと変貌する」の記事とほぼ同じ頃に @kazumoto さんが「検索を中心に据えた情報整理を整備する」という、重なりあう話題を記事にされていたのですが、その記事について彼のもとにやんわりと「真似をしたのですか?」というDMがツイッター経由で来たのだそうです。

きっとDMを送った方に深い意図はなかったのだとは思いますが、@kazumoto さんの記事は私も拝見して「おっ、同じ方向を見ている」と嬉しくなっていただけに、ちょっと意外な話でした。そしてこれも同じ「繰り返し」の瞬間なのだと思ったのです。

よく、「最新の情報を提供すること」がブログの価値だといわれることがあるのですが、ニュースサイトならざる個人ブログではむしろ「自分の声」があるのかどうかが重要になります。

新しい話題は3日で古くなります。しかし、古い話題でも自分の言葉で再度物語ることができることと、同じ情報でも自分の語り口で表現できるというスキルはずっと長く私達と生き続けます。

もしいま、「この話題は古い」「すでにあの人が記事にしている」「これはあの人と同じ意見だから」という気持ちが先にたって書けていないブログ記事があるなら、かまわずに書いてほしいと私は思います。

同じ題材でも、もう一度書かれることでテーマは深まります。同じ素材でも言葉は変化してゆきます。そしてその記事はまた異なる人のもとに届きます。

同じように、私も以前のネタを気にせずに引きだして、さらにもう一度語らずにはいられないことを書いてみたいと思います。もう一度チャンスが巡ってきていることを意識しながら。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。