私の記憶はあなたの記憶。Evernoteの進化がもたらす驚きべき未来

Share 「私はここにいたことがある」ー イーヴリン・ウォー「回想のブライズヘッド」

しばらく前から、Evernoteに対しては一つの心配事がありました。

それは、データを入力することは飛躍的に楽になったのに対して、それをスマートに取り出すこと、つまりは「第二の脳」から思い出すのは相対的に難しいという点です。

先日Evernote CEOのPhil Libin氏にお会いした際にうかがった話の一つに、こうした「データを探しやすくする」という話題がありました。

「その方面においては静かにだけれども、大きな変化が起こりつつあるんだ」と Phil はいつものあのいたずらっ子のような笑みを浮かべて熱っぽく語り出したのでした。

それはEvernote Businessから新しいEvernote Clearly、そして記憶と共有の未来へと延びてゆく遠大なビジョンでした。### 共有される記憶

先日のEvernoteモレスキンの記事において「そこに書かれていることはノートを破壊せずとも、ノートを手放さずとも、Evernoteを通して記憶・共有される」と書きましたが、これははグループによる共有ノートブック、あるいは新しく発表があったEvernote Businessを考えるとさらにわかりやすくなります。

たとえば Evernote Business でノートを共有しているメンバーと、とあるレストランでランチミーティングをしたとします。食事が美味しかったのでそれをEvernote Foodで写真にとり、ミーティングの内容をノートにとり、後に Page Camera 機能で写真に撮影して Evernoteに入れたとします。

この両者のノートには時刻と位置情報がすでについていますし、もし他のメンバーが同様にその場でEvernoteにノートを作成していたなら、その情報も「同席していた」というシグナルとして機能します。

そして同じレストランに数年後にいったとして、Evernoteを開いたあなたはそこに過去の記憶を発見することになります。

  1. 数年前にミーティングでこの店にきたことがあること

  2. そのときに食べたもの

  3. そのときに同席していた人たち

  4. そのときに作成したノート

  5. 同席者が作成したノート

  6. 同席者の食べたもの

  7. さらに関連するノート

面白いのは、5 以降です。Evernote Businessで行われるように共有範囲が明確にされていると、他人が書いたメモも自分の共有されたノートブック内に表示されます。これは他人の記憶が自分に流れ込んでいるに等しい状況を生み出します。

一方、世界中にむけてシェアされているであろう、「同業者の食べたもの」写真などは自分だけでなく他の誰にでも閲覧可能です。

水面下で進む「関連するノート」の機能

こうしたことを可能にしているのが、Evernoteの水面下ですすむ「関連するノート」の表示機能です。元Google社員であるPhilの兄弟が現在Evernoteにいますが、彼が率いているのがこのスマートな関連表示機能です。

この取り組みが今後進めば、たとえばノートを書き始めた瞬間に、書かれている情報やノートを作成している場所に基づいて、書き終わる前から「関連するノート」が次々に表示されるといったことが可能になります。

すでにこの機能の一部分を利用しているのが新しい Evernote CLearly の Related Notes 機能です。

Clearly related notes

ETC で発表された新しい Evernote の Chrome 拡張、Evernote Clearly はクリップした際に関連ノートが表示され、情報から情報へと飛んで歩くことができるようになっています。

まさに、スマートな情報発見が進んでいるわけです。

保存された「記憶」の未来

Evernoteはいまのところはクラウドサービスといっていいのでしょう。しかし、その本質はクラウドにはありません。

Evernoteの本質は**「記憶を脳ではないところに保存できるところ」であり、もっと正確にいうと、「人間の記憶に近い、抽象化された情報を外部化することを可能にした」**という点に尽きます。

つまり単にファイルをDropboxにアップロードするのと本質的に違うのは、「いつ」「どこで」「誰と」「関連するノートは」といった情報のコンテキストが追加されているという点なのです。

Evernoteがこの側面を失わずにこのまま進化すれば、私たちは自分たちの脳で行う「思い出し」以上のものをEvernoteから手に入れることができるかもしれません。

自分の記憶が他人のものになり、他人の記憶が自分のノートに流れ込むようになると、知的生産の場面も変化します。

あるいは、学校のノートが幼稚園から大学にいたるまですべてEvernoteで保存されていたら、何が起こるでしょうか? 体験や経験が常に自分だけのものでなく、共有された記憶として存在するようになったら思い出はどう感じられるのでしょう? または何かを思い出すのに、眉間にしわを寄せるのではなく、スマートフォンに手を伸ばして画面を見るだけという世界になったらどうでしょう?

不可能? しかしどんな知識でも「検索」できるようになる以前は、それこそ不可能だと感じられたはずです。

Philと話していて、私の中でEvernoteに対して抱いていた心配事は多少後退しました。そしていまは新しい「関連するノート」の静かな、でも着実なロールアウトを期待して待つ気持ちです。

繰り返しになりますが、忙しい時間を割いて細かい質問に答えてくださった Phil に感謝します。

Phil

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。