「知的生活の設計」Strategy 02:あなたの毎日を変える 「知的積み上げ」の法則

発売に先駆けて、「知的生活の設計」の第一章を公開している記事の第三回目になります。一連の記事は以下からご覧いただけます。

Strategy 02:あなたの毎日を変える 「知的積み上げ」の法則

本を読むことだけではなく、漫画を読むことや、映画を観ることも、ネットウォッチも「知的生活」になるならば、そうしたコンテンツを好きなように気ままに消費していればよいのかというと、そういうわけでもありません。

梅棹氏はなんらかの新しい情報が生まれることが知的生産には必須であるとして、それ以外の活動は、たとえば将棋を指すことや楽器を演奏すること、そして楽しみのために本を読むのも、「知的消費」であると明確に区別をしています。それが良くないことだという意味ではなく、情報を生み出す活動とそうでない活動があることを意識するために、こうした言葉を使ったのです。

「新しい情報が生まれる」というのは、どういう状況のことでしょうか?

たとえば本を読めば感想が生まれます。心を動かす本を読めば、自分でも書いてみたくなるかもしれません。あなたが情報に触れた結果、以前は存在しなかった新しい言葉や表現が生まれることも、広い意味でみた場合には「新しい情報」といえます。

しかしもう一種類の「新しい情報」があります。知的な「積み上げ」を続けることで、それまで見えていなかったつながりを見出してゆくという楽しみです。

 

「王は死んだ! 王様万歳!」

まだ私が大学の学生だった頃、とある有名サッカー選手の引退とその後について書かれた記事の中に「国王は死んだ。国王万歳!」というフレーズが副題に入っているものがありました。

たびたび見ることがあったこの奇妙な英語の定型句について興味をもった私は、それが中世フランスでの王権の移行に際して慣例的に叫ばれる言葉だということや、内戦を避けるために王が埋葬されるやいなや次の国王の長寿を祈ることで王権の連続性を保つ意味があるなどといった歴史について学び、その場はそれで満足しました。

面白いのはその後です。この言葉の奇妙さは私をどこかでいつも惹きつけていたらしく、その後中世における王権の扱いについて論じたカントーロヴィチの『王の二つの身体』(筑摩書房)を読みふけったり、この表現を使った記事を収集したりといったことを、気づけば15年ほぼ断続的に続けています。

たとえば2009年の第51回グラミー賞の最優秀楽曲賞に輝いたコールドプレイの「Viva la Vida」の歌詞にもこの語句は登場しましたし、人気の車がモデルチェンジしたり、新しい人気のプログラミング言語が登場したりする際に使われることもあります。

最近だと、映画『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のなかで「国王」の部分をもじった形でこの言葉が登場しているのを耳にしたときは、私は劇場の暗闇のなかでニヤリとして、こっそりと手のひらにそれをメモしたのでした。

私はなにも学者のようにこの言葉を研究するつもりで集めはじめたわけではありません。響きが面白く、なんとなく心に訴えかけるものがあったので、耳にするたびにメモし、背景を少しだけ調べたうえで忘れる、そんなことを繰り返していたにすぎません。

しかし時間とともにこうした引っ掛かりが積み上げられてゆくうちに、どのようなシーンでこの言葉が使われるか、どんな背景をもった人がどんな印象を残すために使うのかといったことが、隠れたメッセージをもっているかのようにつながりをもって見えるようになってきました。

いまでは過去15年にわたる様々な用法やその変遷が私の手元に蓄積してありますので、いつか私はこの表現について一冊の本とまではいかずとも、エッセイの一つか小論くらいならば書けるのではないかと考えています。

このように「気になって仕方がない言葉やフレーズ」「違和感を覚えさせるなにかとの出会い」を記録し、積み上げることで、やがてそうした情報との一期一会はネットワークのようにつながりはじめます。

一回の読書や一回の体験をそのままで終わらせない、こうした「知的積み上げ」こそが、日常を「知的消費」で終わらせないための鍵となるわけです。

 

ハイコンテクストな時代を楽しむ

私たちの周囲に情報が膨大にあるということは、まだ発見されていないつながりや、指摘されたことがない解釈が無数にあるということでもあります。

たとえば最近だと人気漫画家が有名なテレビのワンシーンや、映画ポスター、あるいは名画の構図をさりげなくパロディ化して作品に組み込み、それに気づいたファンが話題にするといったこともありました。説明されなくても作品を楽しむことはできますが、それを知れば私たちはさらに深く作品のなかに入っていけるような仕掛けが意図的にも、意図しない形でもあふれているのがいまの時代です。

作品とその受容をコミュニケーションとして捉えるなら、これは文化人類学者のエドワード.T.ホールが「ハイコンテクスト文化」と呼んだ状態に近いということがわかります。

「ハイコンテクスト」であるとは、事実の認識や前提としている価値観といったものが、情報を発信する人と、それを受け取る人のあいだで高いレベルで共有されているために、「みなまで言わずともなにがしかの情報が伝わる」、そんな状態のことを指しています。わかりやすい言葉で表現するなら「ネタがネタであるとわかっている状態」といってもいいでしょう。

しかし世界はわかりやすい「ネタ」だけでできあがっているわけではありません。ある場所で隠されているものは、別の場所で明かされていて、それを見つけるためには長年の経験から得た知的積み上げを鍵にしなければいけないことがよくあるのです。

 

二度出会ったらメモをする、三度出会ったら記録しはじめる

そこで、そうした鍵を集めはじめるために今日から実践できる習慣として「二度出会ったらメモをする。三度出会ったものは記録しはじめる」をおすすめします。

たとえば「王は死んだ! 王様万歳!」の例で言うならば、一度目にその表現を目にして気になって辞書で引いたくらいでは、まだそれが自分にとって特別な情報だということには気づかないでしょう。「初めて出会う情報」はいくらでもあるからです。

しかし二度目に出会って、一度目と同じような違和感をもったり興味を搔き立てられたならば、その情報や違和感との出会いをメモしはじめましょう。やがてそれが三度目になれば、それはもう立派な知的積み上げの始まりです。

二度目と三度目の出会いはすぐであることもあれば、何年も間隔が開いていることもあります。しかし、私たちの好奇心の記憶は信頼がおけます。

何年経っていても「あ、これはあのときの」と興味を搔き立てられたならば、そこには知的積み上げのチャンスがあるのです。

 

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。