「知的生活の設計」 Strategy 01:知的生活とはなにか
「知的生活の設計」第一章公開の記事の2つ目になります。一連の記事は以下からご覧いただけます。
Strategy 01:知的生活とはなにか
この本は、あなたの人生を大きく変えることを目標に書かれています。しかしそれは、「仕事の能率を10倍変える生産性の秘密」だとか、「考え方を変えたら人生が変わった!」などといった、即効性をうたった小手先の方法についてではありません。
むしろこの本は、あなたがいつも興味をもって惹きつけられていることや、気づいたらどうしても開かずにはいられない本や、チェックせずにはいられない趣味といったあなたのパッション = 情熱を、どのようにしたら未来につなげていけるかについて紹介します。
日々の趣味を一過性の楽しみで終わらせるのではなく、将来にわたってあなた自身を支えるライフワークに成長させること。生活のなかで知識や経験を磨くことで、仕事においても応用できる発想力や洞察を蓄えること。そうして積み重ねた自分自身の個性を武器に、人生を長期的に切り開いてゆくこと。それが本書の目指す目標です。
そのヒントになるのが、あなたの日常を「知的生活」と捉えるという視点です。
知的生活というと、なんだかアカデミックで高尚な考えを振り回すことを要求される、スノッブなものに聞こえるかもしれません。おそらくこの「知的」という言葉が、馴染みのない人にはよくない作用をもっていて、まるでそれを実践していない人は「知的ではない」と決めつけているかのような、そんな印象を与えるのでしょう。
しかし実際には、現代の情報社会でおよそ「知的生活」的なものにまったく触れずに生きている人はほとんどいません。あなたは本や漫画を読まれるでしょうか? アニメを楽しんだり、音楽や映画を楽しんだりするでしょうか? 趣味のために時折財布に痛い出費をしたり、遠くまで旅をしたりするでしょうか?
そのすべてが「知的生活」の芽を含んでいるといっていいのです。
「知的生活」とは情報との向き合い方
「知的生活」という言葉を日本に広めた書籍として、渡部昇一の『知的生活の方法』(講談社)があります。19世紀の美術批評家P.G.ハマトンの『知的生活』(講談社)に大きなインスピレーションを受けたこの本は、「本を読んだり物を書いたりする時間が生活の中に大きな比重を占める人たち」に向けて個人的なライブラリーの構築と、情報整理の方法を紹介して、ベストセラーとなりました。
同様に、研究や知的活動を仕事としている人に向けて書かれた梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波書店)は、知的生産を「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」と定義し、そうした活動を助けるノートの取り方、情報カードの使い方、情報の規格化と整理法といった話題を紹介して、現在に至るまで多くの読者の支持を集めています。
渡部氏は英語学を専攻とする立場で、梅棹氏はフィールドワークを基本とする民族学・比較文明論の立場で、それぞれ自身が経験してきた知的な生き方についてまとめているといっていいでしょう。
しかし注目したいのは、二人は、自分が学者だからこうした知的生活や知的生産に意味があるとは言っていない点です。
むしろ一線の研究者として膨大な情報に触れ、それを自身のなかで整理して新しい研究を生み出すために必要だった工夫や、手元の道具について、つまりは「知的な生活のありかた」について紹介しているのです。それならば、その対象となるのは必ずしも学問的なものでなくても、自分を知的に刺激する情報ならなんでもよいことになります。
知的というのは「頭がいい」ということではありませんし、勉強ができる、学問的であるといったことが必須というわけでもありません。
周囲にあふれている情報との向き合い方が知的であるということなのです。
現代の知的生活
ひるがえって、私たちのいまの生活をみてみましょう。渡部氏は1976年の書籍の冒頭ですでに「現代という情報洪水」という言葉を使っていますが、それはいまの情報社会の爆発的に発展した状況に比べれば“せせらぎ”といっていいほどです。
かつてに比べて書籍やCD・DVDなどといった情報メディアの点数は何倍にも増えていますし、メディアの多様性もスマートフォンなどのデバイスがコモディティ化したことを背景に比較にならないほどに発達しています。そしてなによりもインターネットの存在が、私たちが日常的に触れなければいけない情報量を膨大なものにしています。
量だけでなく、情報は質的にも変化しました。ツイッターのようなリアルタイムで切れ目のない情報や、SNSなどのコミュニケーションツールを通して、友情や恋愛といった人間関係さえオンラインで表現できるようになっていることは、情報との向き合い方が一部の人だけでなく、すべての人の問題に変わったことを意味しています。
いまや「本を読むことが中心の人」だけでなく、動画を見る人の知的生活、ネットをウォッチする人の知的生活、絵を描いたりプラモデルを作ったりする人の知的生活といったように、あらゆる情報との触れあいのなかに知的生活が生まれているといっていいのです。
そこで私は、ここで梅棹氏の知的生産の定義を引きつつ、知的生活を次のように言い換えたいと思います。
すなわち、知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合だと考えるのです。
そこには日常をより深く楽しむヒントがあります。知的刺激を仕事に役立てるための指針があります。ありきたりの情報に触れてありきたりの結論しか出せない状態に甘んじるのではなく、自分だけが感じた体験を世界に発信する興奮があります。
どこにでもある情報との触れあいを、あなた自身のオリジナルな体験としてスケールアップさせるもの。それが知的生活なのです。