ネイティブ広告はメディアの未来への脅威ではないかという気がしてきた

もう数週間前からになりますが、「ネイティブ広告ハンドブック」について話題を数多く聞いていました。ハンドブックがわかりにくくないか? それが伝えようしていることは何なのか? といった話題です。

「ネイティブ広告」とは、短く言うなら「サイトの表示や体験と親和的な広告」のことで、いわれてみないと広告と気づかないくらいに馴染んでいることがその特徴となっています。

こうした種類の広告が利用されるようになってきたのも、バナー広告などがあまりクリックされなくなり、メディアの収益モデルにも影響がでているために新しい種類の広告コンテンツが求められていたということがここ数年の背景にあります。

私はニューメディアと呼称されるものについては総じて興味がありますが、それはどのようにしてそれを維持するのかというビジネスモデルの話題も含むわけで、ネイティブ広告についての話題は専門家ほどではないにしても数年追っていました。

というわけで、最近までの話題と問題点について、おそらくどなたでも理解できるであろうレベルでスライドにまとめて、音声をつけて公開してみましたので、この話題についていけていないというかたはぜひ御覧ください。

動画をみているひまはないよ! というかたはスライドだけこちらに用意しました。

収録してから、むしろ懸念が強くなってきた

しかしこの動画、収録してみてから、むしろこれって脅威なのではないかという気持ちのほうが強まってきました。

というのも、広告をどこまでエディトリアルにまぜてゆくのか、どこにどこまで表記を行い、情報開示をするのかは、当然ながらメディアと広告を出す側が手綱を握っていて、その倫理観しだいという点があるからです。

たとえば、動画内で説明したとおり、どうしてJIAAのガイドラインとハンドブックで定義がずれているようにみえるのでしょうか? それは広告を定義し、販売する側の論理によって適宜都合よくゴールポストが移動されているからという疑念はないのでしょうか?

エディトリアルのあいまいさが、言葉を殺さないか

アメリカにおけるトランプ候補の当選の背景に多くの偽ニュースがあったのではないかという懸念と、それを抑制することができず、真偽を見分けることができない我々の心理というセキュリティホールの存在は、いま大きく社会を揺るがしています。

質の悪いジャーナリズム vs 嘘のジャーナリズム vs ネイティブ広告 | mehori’s Diary

大統領選挙のあいだ、事実とは異なる情報をあえてツイートしたり広めたりすることが両陣営から行われていましたが、それを主導していた陣営からは「事実などというものはなく、一定数の人が同調して賛意を示すならば、嘘といってもそこには真実がある」という頭が痛くなるような発言もしています。

Trump Spokesmonster Scottie Nell Hughes: ‘There’s No Such Thing as Facts’

こうした状況をみていると、ネイティブ広告などのように、エディトリアルと広告との境界線をずらすこと、メディアの中立性そのものにあいまいさを導入することは、社会インフラとしての情報の流通の信頼性にダイレクトな危険性を持っているという気さえするのです。

簡単にいうと、すべてが広告とみなされてしまったら、私がある製品やサービスを「いいね」とほめても誰もそれが広告ではないと信じなくなってしまうということです。世界がこの方向にかわってしまうと、ネット上の私の言葉は死んでいってしまうということでもあります。

わたしはニューメディアに興味のある一介のブロガーであって、運営しているのも個人メディアに過ぎません。しかしこの流れには不安を感じます。本当に注意深く、全員が合意できるガイドラインなどを厳密にきめてゆかないと、かならず水は低きに流れ、言葉の意味は薄まっていきます。

ネット上の情報への信頼はそもそも高くありません。しかしそれがさらに一段と低くなったとき、誰が私の言葉に耳を傾けてくれるでしょうか? 私にはそれが怖いのです。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。