人のライフハックを笑うな

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いや、私は笑われてもかまわないのですが(笑)、今日は一つの誤解について書きたいと思います。長くなりますが、書かずにはいられないことです。

こうしたブログを書いていると、著者はまるで仕事がばりばりとできる、生活の隅々までもが最適化された人のように思われてしまうかもしれませんが、実際はまったく逆だということを思い知ることがよくあります。それが今日という一日でした。

この2ヶ月あまり、私は一つの締め切りに追われていました。昨年の中国出張以来、ずっと書いている論文の締め切りが迫っていたのです。それまで書いてきた ジャンルとはまったく違うものに挑戦していましたので、手間はいつもの数倍かかっていました。推理作家が歴史小説を書くような苦労といったらいいでしょうか、とにかく勝手がつかめない状態が続いていたわけです。

その締め切りが今日に迫り、なんとかグリニッジ時間で締め切り時間までに論文を投稿できるか、できないかというところまで時間が迫っていました。仕事はもちろんこれだけではありません。内外にさまざまなものが山積し、いろいろな人を待たせた状態です。

だというのに。私が今日一日やっていたこと、それは仕事の先送りでした。

すべてが裏目に出る日

朝に職場にたどり着いて、まず最初にやったのは論文の仕事をすすめる作業でしたが、ほどなく同時に抱えた作業との間でデッドロックになってしまいました。作業 A を進めたいが、それには作業 B を終わらせないと気になって仕方がない。でも B は A に優先しない、という状態のなか、ぐずぐずと何も進まなくなったのでした。

どちらか一つに集中すればいい、そう頭では分かっていても、すんなり手が動かないまま、何も進まない作業に手間取るばかりで午後になり、昼食をほおばりながら「これでは両方がダメになる」と焦り始めたときにはすでに午後2時になっていました。

自分がどうにもならない状態になっていることを自覚し、とにもかくにも論文の作業に戻ろうと決意したのが午後3時。すでに日は傾いています。心の中では「これが終われば…これが終われば…」そう念じていました。

これさえ終わったら、自分はもっと締め切りをちゃんと守れるようになるためのワークフローを作ってやる。もっと効率的に作業ができるように、チャンクダウンを見直して やる。ずっと気にかかっている新しいツールをマスターして、データ解析のレベルをさらに向上させてやる。なにより、もっと自分に満足できる自分になってや る。そんなことが頭の中を駆け巡っています。

午後5時。どうにか作業に先が見え始めたころ、一日2回のメールチェックの時間がやってきました。これだけはやっておかないと、いろいろと支障があります。

新着メールは2通、そのうち一通はフランスからで、以下のような短いメールでした。

「ボンジュール。論文執筆を快諾してくれたみなさん、いかがお過ごしでしょうか。みなさん締め切りに間にあわせようと苦しんでおられるようですので、締め切りを3月末まで延ばします。これが最後の締め切りです。では、ごきげんよう」 何が書いてあるのか、一瞬理解できませんでした。先ほどまで必死になって追っていたオアシスが逃げ水になって消えたような感じでしょうか。

次の瞬間、「明日までに仕上げなくていい!」「これでほかの仕事を片付ける時間ができた!」という歓喜を感じましたが、すぐにそうしてぬけぬけと喜んでいる自分に非常に大きな挫折感を感じて、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

締め切りが延長された瞬間、ぐずぐずすることを容認された瞬間、私は自分の心の中の締め切りに負けたのでした。

「自分はプロダクティブな人間ではない…」

そんな確信がじわりと肌にしみ込むようでした。

ライフハックというあこがれ

Aspirational Consumption というマーケット用語があります。セレブ雑誌はセレブが読むわけではなく、むしろセレブに憧れる人が読むように、私たちの行動は「こうなりたい」「あの人のようになりたい」という願望によって突き動かされていることを示す言葉です。

私がライフハックについて書いているのも同じです。ライフハックの達人だから書いているわけではなく、達人になりたいから書いているのです。その過程でずいぶんとブログを読みあさって物知りにはなりましたが、根元の部分ではまだまだぜんぜん変わることができていない自分がいます。

ブログのなかであまり「ライフハック」という言葉を使わないのも、その自覚があるからかもしれません。なんかこそばゆいんですね、この言葉は。 私にとっては身につけたものではなく、身につけたいと考えている「あこがれ」の状態なのです

このメールを受け取って、すべての優先順位が逆転したショックで呆然としていましたが、そうしているうちに、ゆっくりと私の頭の中で響く言葉がありました。

その声は「自分に対する責任を果たせ」と言っていました。

「失敗から学ぶんだ。そして君は自分に対する責任を果たすんだ。さもなければ、どんな成功を収めても、君は満足もせず、納得もせず、一歩も前に進んでいる気はしないだろう?」

そんな言葉が頭のなかに浮かんできました。「自分に対する責任を果たす」つまりは「自分で決めた事をすること」、というその言葉はどこで誰から聞いた言葉だったのか思い出せませんでしたが、私に落ち着きを取り戻させてくれました。

深呼吸をして、もう一度端末に向かいます。そして、この時間を無駄にはしない、そんな気力がもういちど満ちてくるのを感じるのでした。

結局のところ。私は最初から「できる」人なんかではありません。もう一度最初からやりなおす。今度は違った方法を試してみる。繰り返してみる。そうして人それぞれが自分の可能性を信じて努力する姿、それが Lifehacking なのかもしれないなと思うのでした。

最初からできる人は、どうか私たちのライフハックを笑わないでください。私たちは学んでいるところだから。私たちはいろいろ試しているところなのだから。そして近い将来に必ず、そこに追いついてみせるから。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。