10億円がもらえたらどうしますか?の質問に隠された深さと厳しい優しさ

「突然、10億円をもらえることになったらどうしますか?」そんな質問を、ひふみ投信の投資家で友人の藤野英人さんが、日曜日の夜のFacebookに投稿していました。

まずは、この言葉の遊び心に乗っかって、素直に考えてみましょう。10億円というのは、なかなかの大金です。あなたなら、どうされるでしょうか? 貯金をするでしょうか。お店を開いたり起業をしたりするでしょうか。それともまったく違うことに充てるでしょうか。

そして、存分に想像の羽根を広げた上で、この言葉に仕組まれた裏の意味を読み取っていきましょう。これは迂闊に答えてしまうと、とんでもない特大のブーメランが戻ってくる質問でもあるのです。

それが照らし出すのは、ふだんは覆い隠している、心の最奥の欲求であり、あこがれでもあるのです。

できることと、できないこと

この投稿のコメント欄をみてみると、非常に多くの答えがいま10億円がなくてもとりあえず始めることは出来るものであることに気づきます。

店を始める?銀行に相談して融資してもらって店を始めるひとはとても多いのですから、10億円がなければ始められないということはありません。

投資をする? それは投信会社に入れるなら他人に増やしてもらうことであり、自分で投資する場合にも投資先に増やしてもらう思考であって、「あなたはどうしますか?」には実は答えていません。「◯◯円増えたら、もっと増やしたい」というなら、ここに入っている数字は実はなんだってよいのです。

世のため、人のために使いたいという考えが、私の脳裏にもふっとよぎりました。しかし待ってください。10億円あるから世のため、人のために使いたいというのなら、1億円ならどうするのでしょう。100万円なら? 1万円なら?

いまこの瞬間に、及ぶ範囲で世のため、人のためになにかできることがあるのに、「◯◯が足りないからやっていない」という不都合な真実がブーメランになって後ろから迫っている音が聞こえそうです。

また、現実的にみても、この10億円という数字は、面白いところを突いています。

それは、一人の人が一人の働きで稼ぎ出すよりは大きい金額ですが、それがあったからといって、なにか大きな事業を企てることができるというほどの金額ではありません。やり方次第ではありますが、会社を成功させるにも、映画を撮ったりするにも、ちょっと大きなことに挑戦するには少しスケールが足りない。

つまりこの質問には、10億という数字でサーチライトのように心の奥底の欲求を照らし出したり、思考の癖のようなものを暴く構造をもっているのです。

いま始められることを、照らし出す

10億円があればできることの多くは、実はいまそのまま始めることができます。そして始めたからといって成功するとは、もちろん限らない。そこに「始められるけど、始められない」という壁が屹立していて、私たちを見つめています。

というわけで藤野さんもそういうアドバイスをしています。

でも、その一方で、これは始められないことをバカにしているわけでも、勇気がないひとを煽っているわけでもないということは、理解していただきたい点だと思います。

誰もが不確実な未来に向かって頭からつっこんでゆく勇気があるなら、それは勇気とはいいません。未来に向けた希望や欲求や憧れを実現したいと一歩を踏み出すのは難しく、稀有なことだとわかっているからこそ、この質問は私たちの希望をあいまいにせず、真の姿を明らかにして「いまからでも始められるよ」と、多少厳し目に背中を押しているのです。

成功の保証も、幸せの保証もなにもない世界だけれども、始めるか、始めないかというこの一点だけは、実はこの「10億円」のあるなしではなく、あなたしだいなのですよと。

自分次第。考えてみれば、それこそが、未来を選ぶために行動できるということ自体が、万金にも代えがたい最高の贈り物なのです。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。