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それでも、君はそれすら忘れるだろう

Monday, 24 August 2009 · 4 Comments · Memory


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「アメリカのお家の、あのいつも食事をしていたスペース覚えてる?」

生まれたばかりの娘の世話を手伝いに来てくれた母が不意に聞きました。

アメリカの家というのは、私が高校卒業まで住んでいたアメリカ、シカゴの2階建ての家のことで、リビングルームのとなりに客間はあったものの、そこはふだん食事には使ってはいませんでした。リビングからキッチンの方角へ、ガレージの扉との間のわずかな空間にテーブルを置いて、パティオ付きの裏庭を見ながらいつも食事をしていたのでした。

「覚えているけれども、それが何?」

「いま写真を整理しているのだけれども、家の他の部分はいくらでも写真があるのに、一番時間を過ごしていたあの場所だけ、一枚も写真がないのよ」

それは確かに意外な話でした。

この場所は一日に最低でも2回家族がそろう場所でしたから、さまざまな記憶があります。夏の間は食卓から見える庭に何時間も野ウサギがうずくまっていたりしたものです。ガレージから家に入り、買ってきたピザをほおばっていた光の弱い冬の頃のことも思い出します。

でもその場所の写真が一枚もない。一番記憶していて当たり前と思っていることほど、記録していなかったというのは驚くような、戦慄するような話でした。

それでもすべては忘れ去られる

この一週間、このブログの更新を止めて、Twitter のつぶやきも減らしていたのは、病院から我が家にやってきた生まれたての娘との生活に慣れるのに必死だったからというのがあります。

仕事もなるべく早めに失礼させていただき、同僚に悪いなと思いながらも家のことを手伝っていた数日前、ちょっと時間が空いて、眠っている自分の子供と夕方の時間を過ごすことがありました。

いつもはこんなに早く家にいることはありませんので、夕方の光はどこか見慣れません。風はゆったりとカーテンを揺らしていて、窓の外にはバスや自転車がブレーキをきしませながら通り過ぎてゆく音に加えて、蝉の鳴き声がいつまでも聞こえています。

娘は世はなべてこともなしといった風情で眠っていて、私はその様子を半時間ほど、時間を忘れて見入っていました。子供の表情や仕草は千変万化で見飽きることがありません。その一つ一つを目に焼き付けるつもりで見ていたのです。

それでも、一つのことが脳裏から離れませんでした。

それはどんなにこの一瞬一瞬を忘れないつもりでいても、きっと私は、そう遠からず、この大切な一瞬だって忘れているということでした。

どんなに何度も食事をしていても一枚も写真が残っていない食卓のように、記憶は抜け落ち、改変され、やがては思い出すための記憶のとっかかりさえも失われて、言葉にできないこの一瞬は消えてゆくのです。

たとえ記録をしていたとしても、それを読む私は、今日の私ではなく、異なる経験、異なる物の見方をする私で、きっと今の私と同じ印象をもちはしないでしょう。

しかしあるいは、だからこそ、記録することがもっとも大切なことなのかもしれない、と思いを新たにしたのでした。

いま私のモレスキン手帳には、写真にとらえられない、音声で伝えることができない、思い出そうとする速さで走り去ってしまう、生まれたばかりの娘の印象がキャプチャーされています。

それは将来の私が昔を思い出して、そこはかとない印象を再現させるための手がかりであり、今という時間を封印した記録です。

それを読むのはきっと今の私ではなく、今の私とは異なる私、あるいは私ですらないのかもしれません。

でもこうした大切な時間があったのだということを示す、たった一枚の記憶の写真なりとも残っていれば、その時間は少なくともそのページが残っている間引き延ばされるのです。

みなさんのそれはモレスキン手帳でなくてもかまいません。どんなツールであってもかまいません。

でも、こうした一瞬をとらえるための何かを用意しているでしょうか? そこには、どんな記憶が書き込まれているでしょうか?

将来の自分のためにも、小さな 100 円ノートでかまいません、ユビキタス・キャプチャーの習慣を始めてみませんか。

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  • http://sakuraicatshop.blogspot.com/ Catshop

    ライフハックという文脈で「ユビキタスキャプチャ」を読んで、なんだか身構えてしまって、今まで手を出さずに居たんですが。こういう少し違った文脈から紹介されると「や、ボクも始めようかな」って気になっちゃいますね。

    幸いにしてiPhone+カメラ+Evernote/twitter/PhotoShareというツールもあるし、ノートとペンもお安いものだし。今日から始めてみたいと思います。整理とかその当りは、とりあえず後回し。必要になったら、そこから始めてみるくらいの気楽さでもって。

  • http://ideas4life.jp/ niji

    考えれば考えるほど、歳を重ねれば重ねるほど、「記憶」とは実に不思議なものだと思ってしまいます。キャプチャーした文章を見ただけで、草いきれをかいだだけで、あの曲を聴いただけで、一枚の写真を見ただけで・・・タイムマシンを使ったかのように過去に戻れたりします。だから、ユビキタス・キャプチャーは止められなくなっています。

    mehoriさんの「家庭教師で英語を教えていたときのこと」の記事がきっかけで始めたので、現在の私から未来の私への”おみやげ”のような気持ちで、キャプチャーしています。なので・・・シゴトのコトが極端に少ない状況に・・・。

  • http://twitter.com/bostonTP ぼすとん.

    昔の写真や,思い出の曲,ちょっとした走り書きで一瞬思い出が蘇るのは素敵なこと.僕も未来のために,何か書き残しておこうと思ってメモ帳は持ち歩いているんだけれども,いかんせん今に夢中になって本当に残したい部分が残らない...

  • MOMO

    記憶が時の経過と共に希薄になっていくと同時に、私たちの身体も7年かけてすっかり新しい細胞に取って代わられると言います。
    文字でもどの様な形であっても、自分の身体の外に刻みつけた記憶を見るのは、今居る自分ではなく、今は未だ存在しない自分かも知れません。
    もっと言うと、大きく成長された mehori さんのお嬢さんが見る事になるかも知れません。
    私も日記をノートに付けていますが、将来私という存在が無くなってしまったときに今は幼い娘が読むかも知れないと思い、父として娘に伝えたいことも書くようにしています。
    人間の進化を急速に進めたのも、きっとその様な思いから外部に刻みつけられた先達からの贈り物だったのかも知れません。
    (当然、言葉の発明による知識の共有も)
    GTDいうと殊更個人の生産性の向上が協調されるきらいがあるようにも感じますが、「誰かに見られることを前提としたユビキタスキャプチャ」も面白いかも知れませんね。