メールを制限すると、上質なコミュニケーションが増える?
An E-Mail Vacation: Taking Fridays Off | NPR Could You Go Email-Free Once a Week? | Lifehacker
最近繰り返し考えることが、「どれだけのものを手放しても、同じだけの仕事量・同じだけの人との交流・満足を得られるのだろうか?」ということです。また頭でっかちな質問ですね。つまりはこういうことです。
例えばメール。職場ではいろいろな関係のないメーリングリストに知らない間に加えられたりして困ったことになっています。しかしどれだけのメールを自動的に削除して、Inbox に入らないようにフィルターをしかけても、実効的な仕事の速さや効果は変わらないのだろうかということをいろいろと試しています。
または RSS。現在購読している無数の記事からどれだけ高速に「最も重要な記事」だけを抜き取れるか、ということをタイマー片手に計測していますが、「重要かどうか」という判断は意外に時間がかかりますので、どうしても「1記事あたり1秒」の壁は破れずにいます。この「コスト」対「メリット」の向上はいつも気になるところです。読むものを減らすのも重要ですが、やはりある程度の絶対数以下にはできないからです。
時間がある限り、情報は汲めども尽きることがありません。だからこそ、43Folders の Merlin が “Scarcity の復権” と言っていた、「私たちのキャパシティーの 100% ではなく、せいぜい 80% くらいの情報インプットにとどめながら、100% の効果と満足を得るための情報の交通整理」の方法が気になります。
Lifehacker 経由で知った NPR のラジオプログラムで、U.S. Cellular という携帯電話会社が「金曜日をメール禁止の日」にしたという話題を目にして、このことを思い出していました。
金曜日はメール禁止!
この会社では、あえて「金曜日はメールでの連絡を禁止する」ことによって電話による連絡、直接の会話などを促進しようと考えたのだそうです。2ヶ月半の実践で、最初は反対していた人もこのポリシーが賛同するようになり、月曜から木曜の間も意味も無くメールを送るのではなく、近くにいるようだったら電話をしたり、直接合うような習慣が社員にうまれたということでした。
その結果、それまで会ったこともなかった社員同士が、似た電話番号をもっていることからお互いが同じ建物の違う階にいることを発見するなどといった、交流がうまれたのだそうです。
この話は非常に重要なヒントを与えてくれています。メールだけでなく、電話や、IM などの通信手段にはそもそも「相手のリアルタイムをどれだけ拘束しているか」に違いがあります。
メールは、自分が1時間かけてかいたものを相手が10分で返事したり、逆も然りというように、差出人と受け手に時間の差があります。電話だとそれが平等で、フェイス・トゥー・フェイスだと「場」さえも共有してお互いの注意をすべて相手に向ける、もっとも贅沢な手段です。
この話を読んでいて考えたのは、**「メールを制限・制御することは、こうした上質な交流へのチャンスを開くものなのだ」**というのは、単に「禁止!」というよりも前向きで、周囲の理解を得やすい説得材料なのではないかということです。相手をより拘束する手段には、それなりの気遣い生じますので、メールほど abuse が多くはならないのではないだろうかという計算もあります。
たとえば「金曜日はメールなし」というのが無理なら、「一定以上の重要な情報は口頭で知らせた上で概要だけメールすること」などのように、通信の内容・手段・手続きに一定のルールを設けることが考えられます。
メールの「緊急度」という有名無実化している機能がありますが、こうした緊急度のようなものについてチームの全員が合意し、ある緊急度以下のものは受信箱を飛ばしてアーカイブされる、電話はそもそも相手につながらない(相手がもっと重要なことをしている最中だから)といった未来がくるといいなあ、などと妄想しています。
まずは片っ端から不要な ML に私を登録してくれている身近な方から説得を開始してみようかな…。