「幸せ」という選択肢、あるいは思考の安全装置
あなたの頭のなかに安全装置はありますか?
子供のころからネガティブな上に短気を起こしやすいな私は、いくつかの引用句を頭のなかで繰り返して、意図しない暴発を避けるように心がけています。気鬱を抑止して、幸せな気分を守る時にも同じように有用な引用やエピソードを思い出すことでこれを行なうことができます。
先日紹介した「積極的考え方の力」という本に、「幸せを選ぶ老人」と「不幸を生産する女性」というエピソードが紹介されていて、どちらも単純な話なのですが頭にいれておくと、暗い気持ちになりそうな時に安全装置のように働いて、自分を引き戻してくれます(100% ではありませんが…)。
幸せな老人・不幸な富豪の女性
幸せを選ぶ老人の話は、アメリカのトークショーに招かれた一人の老人がいて、すべてにおいて愛嬌があり、口にすることが何もかも素朴で人の心をくすぐる楽しさに満ちているので、進行役の番組のホストも笑顔になって「あなたの明るい生き方の秘訣は何ですか?」と思わず聞いたというエピソードです。
それに対する彼の答えは「平凡なものさ。私は毎日朝起きて今日一日を幸せに過ごすか、そうしないかを自分に聞くのさ。そしていつも、私はどっちをえらぶと思うね? 私は幸せを選ぶのさ」というものでした。
ものごとに向かうスタンスが全てにおいて「幸せを受け取ろう」という方向に向かっているので、自然とそうなってくるのだという、単純ですがわかりやすい習慣です。
「不幸を生産する女性」の話は列車の同じコンパートメントに居合わせた乗客たちが自己紹介をしているときに、ある紳士の奥さんで、いかにも豪奢な服とアクセサリーで身を包んでいるものの、その場にいるのが嫌でたまらないといった雰囲気を醸し出しているいたというエピソードです。
その紳士は自分自身を紹介したあとで、「私の妻は製造業をしています」と、まったくよけいな一言を言ったのでした。「彼女は、自分の不幸を製造しているのです」と。
人前で奥さんに恥をかかせる旦那さんというのは問題ですが、彼女の不幸の原因は自分自身の「こんなのでは幸せになれない」という不幸を作り出す姿勢そのものにあるという意味のこの言葉は、含蓄深いものです。
思考の安全装置
ポジティブな考え方というのは、それだけで幸せを保証してくれるものでありませんが、野球のバッターのフォームが大事なように、私たちの幸せを下支えしてくれます。
上の二つのエピソードはそれだけれは「ふーん」といった程度のエピソードですが、ちょっと気分が落ち込みそうになったとき、感情がレールから脱線しそうになったときに、「おいおい、幸せを選べよ」とか「まてまて、自分で不幸に向かってアクセル踏んでないか?」と自分をチェックするために使えます。
この二つのエピソードは私のお気に入りですが、みなさんにも、「ああ、この話はいいなあ」と思える話があると思います。そうしたエピソードを単にいい話で終わらせずに、「幸せを選ぶ選択肢」を選んでいるかの検算のために使ってみると、けっこう応用範囲が広いものだと気づくと思います。
こんな小さなことでも、普段の生活に「幸せを選ぶ習慣」として降りつもらせることで、いままで取りこぼしていた幸せのチャンスを拾う助けになります。拾った数だけ良いことが続くのですから、この思考回路は閉ざさないように注意したいと思います。
こんなことを書いているのは、この2週間というものミャンマーのサイクロン被害とそれに続く人災、そして中国での大地震のニュースをつぶさにみては、気分が暗澹としているからでもあります。
多くの人にとって幸せは選択肢にさえ入っていない今、自分に幸せを選ぶ選択肢があるうちは、間違えずにそれを選びとりたいと思うのです。