「最適化の罠」から逃れる

もし、英語圏の「最適化」界隈で有名な YouTube 動画配信者のリストを作ったなら、おそらく Matt D’Avella 氏の名前はそのトップ5に常に入っているはずです。

チャンネル登録者数400万人を誇る Matt は、クオリティの高い動画で知られているだけでなく、素朴で近づきやすい語り口や、ちょっと極端でユーモアのある実践的な動画が人気です。

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「人生のための12の習慣」や「ミニマリストが教えるパーソナルファイナンス」といったノウハウ的な動画もあれば、「30日間、朝5時に起きてみた」「冷たいシャワーを30日連続で浴びることで起きたこと」のような、思わず続きが知りたくなるタイプの動画もあって話題に事欠きません。この手の話題が好きな人はつい、なんとなく見てしまうのではないでしょうか。

しかし近年、少しずつですが、彼の動画のスタイルに変化が生じていました。それまでのしゃにむに生産性を高めようという動画が鳴りを潜めて、「仕事最優先のハッスルカルチャーの嘘」や「デジタルデトックスの勧め」といったように、それまでの流れを抑制するテーマの動画が増えてきたのです。

決定的だったのは、Matt とパートナーの間に子供が生まれ、子育てに時間をとられるようになったことでした。そしてついに先週、「自分はすべてを最適化しようとして、かえって人生を悪くした」という題名の動画が投稿されたのです。

ついにきたか。と、私は思ったのでした。

減らさないといけないもの

動画のなかで、Matt はいま膨大な数の動画やブログが「最適化」ビジネスに相当するものに貢献しており、人生のすべてをテクニックで生産性が高く、成功に導かれるように調整するアドバイスに満ちていることを指摘します。

そしてその上で、それをすべて実践すること自体が、そもそもまともな人生を生きることを不可能にしているのではないかと問いかけます。

例に挙げられているのが、アンチエイジングのための最適なスキンケアから、筋トレ、ヨガ、瞑想、緻密な時間管理といった、かなり極端なものばかりですので、「それはそうでしょう…」と私などは思ってしまうわけですが。

そして重要な点に Matt は気づきます。

すべてのことをする時間はないうえに、減らして良い無意味なアクティビティはもうすでに減らしていることに。つまり減らさないといけないのは、本当なら減らしたくないと考えているものなのです。

本当は筋トレを増やしたい、もう少しスキルを学ぶ時間を確保したい、本を読んだりしたい。でも、赤ちゃんが泣いているので優先順位はすべて変わってしまいます。

子供がいない人でも、この泣いている赤ちゃんに相当するものがあるはずです。

それは硬直した最適化の末に身動きの取れなくなった人生を粉砕する個別の事情であり、そのためには時として悔しい思いをしながらいろいろなものを諦めざるを得ないなにかです。

「意味」を追求するのをやめる

Matt はこの動画のラストで「アトミック・ハビット」の「1%改善」を引き合いにして、いつまでも人生を最適化で「より多く」「より豊かに」「より賢く」などとはできないとしたうえで、子供との時間のようにあらかじめ意味などが決まっていないことにもっと費やしたいとまとめています。

もっとも、この動画のなかでも技巧をこらして配置されたカメラで子どもとの時間を何カットも撮影しているあたり、言ってることとやっていることがズレているような気もします。また、Matt はYouTube で生計を営める立場なので、子どもと遊ぶこと自体を諦めて働かざるを得ない人の立場が頭上を素通りしている構図も見逃せません。

とはいえ、言いたいことはわかります。

それは「意味がないことをする」のが最も尊いと言っているのではなく、「意味があるから追求する」といった算段がつくものは、どこかで最適化の魔の手から逃れられなくなる息苦しさについての話なのです。

たとえば、「本を読むこと」自体を味わいたいのに、それがいつの間にか「読めていない生活は良くない」「もっと意味のあるものを読まないといけない」といった感情の引き金にしかならないなら、どこかで乗り換え駅を通り過ぎているといえます。

そういった、なにが喜びをもたらすのかについての塩梅の難しいバランスの問いかけがここには含まれています。

Matt は「幼い子供と遊ぶ時間をもっと味わいたいから」と、誰にも否定できない線で動画をまとめましたが、長期的にみるとここにはさらに難しい問題があるのです。

一つだけいえるのは、目の前の局所最適化は長い目で見た幸せを保証しないという視点です。

私がいつもブログで Happy Lifehacking と書くとき、それは「Lifehacking = 手元の小さな習慣」を行うこと自体が Happy だという意味ではありません。

ちょっとややこしいですが、それは長い目でみた Happiness につながるものをして、Lifehack にせしめなければいけないということなのです。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。