WWDC2016でアップルがみせた「時計を未来に進める」プラットフォーム戦略

アップルの開発者向けイベントWWDC2016が開催され、その基調講演でアップルのもう一つの顔、つまりは彼らが開発するiPhone、iPad、MacBookなどといったハードウェアを支える基本OSを作る「プラットフォーム企業」としての側面が強く印象付けられました。

Apple Watchを駆動するwatchOSの刷新、maxOSと名前が改まったOSXの次期バージョンの公表、そして時間をかけて発表されたiOSの新機能の数々が、ユーザーが触れ、操作するエクスペリエンスの最前線を描き出していきました。

しかし同時に、今回のWWDCは、未来に向けた大きな一歩を踏み出す野心的なものでもあったように思えます。星座のように散りばめられた新機能と新機能のつながりを読み取ってゆくと、アップルが仕掛ける「時計を無理やり未来に進める」かのごとき施策が見えてきます。

4つのプラットフォーム

Apple Watchを駆動する watchOS、Apple TVを駆動する tvOS、デスクトップのMac用のmacOSと、iPhone / iPad 及び自動車などに組み込まれた iOS。CEOのティム・クックはこの4つのプラットフォームをいわば領土として宣言するところから講演を開始します。

面白いのはその後、それぞれの OS に対して割り当てられている時間です。前半、恐ろしい勢いでプレゼンとデモが進んでゆくのは、後半 iOS に半分の時間を用意してあるからだったのです。

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正確には、オープニングに8分30秒、watchOSに19分20秒、tvOSにたった7分33秒、macOSに14分57秒をつかったのに対し、iOSには実に54分40秒、子供向けプログラミング教材アプリであるSwift Playgroundその他に17分50秒が割り当てられた計算です。

iPhoneがローンチした時、ジョブズは誇らしげに「こいつには OS Xが走っている」と告げたものでした。しかしもはやその iOS はmacOSに従属する存在ではなく、ここ最近多くの人が予想していた通り、むしろSiriのような先進的な機能が投じられ、macOSにむけて提供する存在になっているのです。

これは、いったいどれだけの人がどれだけ長い時間OSに触れているかを考えれば当然ともいえます。iOSの「人数 x 駆動時間」はmacOSのそれをはるかに凌駕しているのですから。

macOSの主要な機能として発表されたContinuityも、macOSでコピーした内容をiPhoneにはりつけるのではなく、iPhone/iPadからMacに貼り付けることができるというデモのされかたをしていたのが象徴的です。

iOSで最も強調された、iMessage

こうした発表の際、もっとも時間をつかい、最も強調されている場所は本当に注目すべき場所であることと、「注目してもらいたい場所」であることの2種類があります。今回でいうと、iMessageは後者といえそうです。

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LINEの先をゆくような触れて操作できる Invisible Ink機能、フルスクリーンのエフェクト、絵文字機能、スタンプなどは、まさにSnapchat、LINE、WeChat、Facebookメッセンジャーを追撃する機能ばかりです。もちろん、これらの機能はAndroidのユーザーには使えませんので、間接的にハードウェアを販売するための手筋として効いてきます。

Facebookがソーシャルネットワークでユーザーをひきつけるのに対して、アップルは競争力の強いデバイスにレバレッジをかけて互いにメッセンジャーという戦場で闘っている様子がみえてきます。

人工知能への答えと、Differential Privacy

また、最近の Google、Facebookにおける人工知能技術の発展の圧力に対する、アップル流の解答があったのも見逃せません。これは先月 Marco Arment 氏が話題を投じて注目されていた、「このまま人工知能技術でGoogleに圧倒された場合、アップルはBlackberry化しないか?」という話題ともつながります。

If Google’s right about AI, that’s a problem for Apple | Marco.org

アップルの答えは、たとえば写真における顔認識などを行う場合、風景や動物などの認識はあらかじめ用意された大量画像のディープラーニングの結果を用いて、家族や友人の顔についてはデバイス上でプライバシーを守る形で行うとしています。また、マップの検索や Siri の通信も、プライバシーを尊重する「Differential Privacy」の考え方を導入して行うとしています。

wwdc2016-watch Differential Privacyは、Netflixの賞金問題で大きく知られるようになった考え方で、データをユーザー個人に帰着できないようにハッシュ化したり、ランダムなノイズを混ぜつつも、アルゴリズムの結果を(もちろんある制限のもと)保存する操作のしかたを指しています。

さりげないのですが、ここでアップルは大きな賭けにでています。テロ事件に端を発したFBIとの衝突からも明らかになったとおり、デジタルプライバシーは今後より大きな問題となってきます。このとき、アップルはユーザーの情報を収集して利便性を提供するという、Google・Facebook方式はとらないという宣言でもあるのです。

Siri SDKと、Apple Pay

もう一つ注目したいのは、4つのプラットフォームをまたいで存在していた技術です。個別のOSの説明に多少隠れていたものの、繰り返しどのプラットフォームでも登場したのが、SiriとApple Payです。

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Siriに関してはmacOSへの搭載とSDKの公開という、深い一手が打ち込まれた状態で、今後ユーザーがさまざまなアプリで活用することが期待されます。いずれはコンピューターやスマートフォンの操作という煩雑な作業がSiriに次第に移行し、家の中から外出中も、車のなかも、常にSiriと会話しつつ生産性を維持できる状態がやってくると期待されます。

また、Apple Payについても、ウェブでの利用が追加されて、じわじわと現実からネットにいたるまで、支払いのソリューションとしてどこでも利用可能にするつもりであるのが見て取れます。日本で使えるといいんですけどね…はい。

Swiftの子供たち

4つのプラットフォーム、それをつらぬく Siri や Apple Pay の存在、そして Differential Privacyという、Googleの “Don’t be evil” にも匹敵する哲学、さらには事前に公開されていた App Store の刷新。

これらすべてが、iOS が主導権をにぎる次の10年の未来にむけた盤石な地盤を形成しています。そしてそれを支えるのは、いまの開発者ももちろんですが、物心ついた時からiOSに触れていた「iOSネイティブ」の若い世代です。

今回の参加者のうち72%はWWDCに初めて来たひとで、9歳の女の子をふくむ100人が18歳以下の参加者だということをティム・クックCEOは驚きとともに報告していましたが、この数字に作為を感じるのは私だけではないと思います。アップルはプラットフォームを強固にしたいこの大事な局面で、若い開発者たち、「Swiftの子供たち」を迎え入れるべく時計の針を自ら未来に進めているのです。

そこに、One more thing のように投じられた Swift playground アプリです。いったいどれだけの子供たちが、このアプリでプログラミングを覚えてゆくことでしょう。きっと、私の世代が進化してゆくパソコンに慣れてゆく子供時代を過ごしたのと同じように、いまの子供たちはプログラミングがもたらす最前線を目に据えて成長してゆくのでしょう。

去年のTim Bajarin 氏の去年の予言がここで思い出されます。iOSが、ミレニアル世代のエンタープライズOSになるはずだという予想が、着実に現実になってきているともいえます。

Why iOS Could Become the Enterprise OS of the Millennial Generation

WWDC2016は、macOSからiOSへの禅譲の儀式だったといえます。そしてこの若い開発者たちはその証人でもあったのです。

Appleの独自路線は、今度も成功するか?

こうした数々の施策は、本当に良くも悪くも、昔から私たちが知っているアップルそのものです。独自のハードウェアをつくり、独自のOSも、ソフトウェアもつくり、独自の世界観を常に打ち立てようとするあのアップルの遺伝子です。

しかも今回、Googleの人工知能、Facebookのチャットボット、AmazonのEchoといったスマートデバイスといった「外圧」が強い中、ハードウェアの発表を一切せずにここまでのビジョンを描き出すことができたのは驚きに値します。すべての外圧に対して、アップル独自の解答が用意されていたのですからすごい。

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問題は、これが本当に成功に結びつくかです。iPhoneの売り上げに(予定通りの)陰りが生じ始め、急速に世界がデスクトップパソコンからも、ノートパソコンからも離れてゆくなかで、多様化するデジタル・ライフスタイルの中核にハードとソフト両面を提供し続ける源泉として君臨し続けることができるのか、ここ数年が勝負どころではないでしょうか。

ティム・クックが未来へと進めた針は、進歩というリズムを刻み続けることができるのでしょうか?

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。