幸せな日曜日の記憶。「梅棹忠夫と未来を語る」イベントにて
多忙な年末を過ごしているうちに一ヶ月が経ってしまったのですが、そろそろ十二月に京都で行われたシリーズ「梅棹忠夫と未来を語る」の一環として行われたイベント、「現代の知的生産の技術」についてまとめておこうと思います。
永遠のベストセラー「知的生産の技術」の梅棹忠夫先生の業績をしのび、未来の知的生産の技術を展望するこの展覧会とシンポジウムは、京都、北白河にある梅棹先生の邸宅を改装したギャラリー、rondokreanto(ロンドクレアント)で開催されました。
普通の住宅街のなかにあるrondokreantoは、ふだんはカフェ、ギャラリーとして開放されていますので、梅棹ファンならばぜひ訪れたい聖地です。
中庭は当時の様子を残しており、その周囲に先生の書籍や資料の一部が並んでいます。過去にみたことがない写真もありましたので、中東のフィールドワークはなやかなりし頃の歴史的記録としても興味があります。
この日は、本企画展のイベント「現代の知的生産の技術」ということで登壇させていただきました。私は後半ので、「フィールドノートから、エヴァーノートへ」と題して、情報カード、Evernote、そしてその先に来たるべき「エヴァーノート」についてお話をさせていただきました。
主賓はこちら、東京大学の暦本先生。会場には暦本先生の考案した人と機械とをつなぐインタラクティブなデバイスや、情報カードなどが展示されていました。
会場につくと、すぐに目に入るのがタイプライターを打っている梅棹先生の写真。そしてたくさんの情報カードやこざねの複製です。
情報カードについてはこのように木箱にいれて管理していたわけですが、いまではこれはなかなか売られていないのですよね。私も一個持っているきりですので、どうにか復刻させたいものです。
梅棹先生の情報カードの複写が飾ってあり、まさに一つのカードが一つの小論文、少論考として機能している様子が見て取れます。
ここに今回は暦本先生の学生時代の情報カードも掲示してありました。暦本先生のカードは、内容ははるかに理系的で論理的なのですが、やはり思考をカプセル化してとらえる仕方はどこか梅棹先生に似ていて、知の大家はやはりどこかで通じあうものがあると納得したのでした。
会場には、いわゆる「小ざね法」のこざねの例も展示してありました。なかなか、いまではデジタル的な方法が便利で使ってしまうのですが、アイデアを結実するにはいまもこうしてイメージのつらなりをカードで並べるのが効率的だったりします。
かつてのノートと、フィールドで使用されたカメラ。私も、もともとは地理学の分野から学者の門をくぐり抜け、フィールドノートをつけてきた人間ですので、これを見るだけで胸が熱くなってきます。
今回のイベントではブログ R-Style の倉下さんも馳せ参じてくださいました。暦本先生と三人、ゆっくりと情報カードと知的生産について語り合う、楽しい夕べとなりました。
知的生産は静けさを求める
イベントは暦本先生の講演から始まり、知的生産の技術の本質として、それは「秩序」と「静けさ」を目指すものであることが、先生の専門であるコンピューター科学の世界における「カーム・コンピューティング(calm computing)」との関連で紹介されました。
「秩序」と「静けさ」とは、学問の熱狂をよく知っていた梅棹先生らしい言葉の選び方です。フィールドでは、秩序のある形での発見があるわけではなく、情報や発想は次から次へと、ときには偶然とともにやってきます。
それを細大漏らさずキャプチャーして、一つの秩序ある体系に仕上げる中で、発想とイメージの熱狂はしだいに落ち着き、一種の静けさが取り戻されます。それがなければ、知的生産の所産は伝達不可能なのです。
それを暦本先生は、いまやバズワードとなったユビキタス・コンピューティングが、本来はコンピューターの存在を意識する必要もないくらい、コンピューターと人間環境とが融合した状態を指す言葉として理解すべきものであること、それがカーム(calm)ということなのだという説明を糸口に、calm なデバイスとはなにか、どのようにして情報に秩序を与えるのかという話題へと議論は進みました。
私は「フィールドノートからエヴァーノート」という題材で、フィールドノートとはなにかという紹介を私の専門である気候学の分野から紐解いて、そこから現代のフィールドノートとしてのEvernoteについての解説をし、最終的にはこれが人間の記憶をサポートし、記憶を永続化するために役立つ「エヴァー(永遠な)ノート」にならなければいけないという、希望的な未来についてお話をしました。
この講演については、一つの本の最初の章といってもいい内容ですので、またどこかでこの続きをお話できればと思います。
この日は、夜遅くまで、ワインをいただき、チーズをほうばりながら、暦本先生や倉下さんと贅沢な時間を過ごさせていただいた楽しい思い出ばかりです。こういう日がたまにあるからこそ、生きていける気がしますね。
最後に、宿にお暇する際に「このヒビ、なんだかわかりますか?」といわれて写真を撮影したのが上になるのですが、実はこれ、梅棹先生の書斎がこの二階にあった際に本の重さでタイルが割れたあとなのです。
一人の知的生活の痕跡が、こうしてタイルに残っていますし、こうして私たちが集まって議論を楽しんでいる。これはなんて豊かなことなのだろうかと思うのでした。と同時に、私にはなにが与えられるのだろうか、なにが残せるのだろうかともう一度自問するきっかけにもなったのでした。
今回のイベントを主催してくださったギャラリー・ロンドクレアント、関係者のみなさま、暦本先生、倉下さんにお礼申し上げます。
そして、先生にも。