「知的生産」が生き抜くうえで最強の武器となる
就活であれ、その後の仕事における重要な選択肢であれ、単に力を失いつつあるときに勇気を奮い起こすためであれ、人生と情報とはもはや切っても切り離せません。そしてその界面には、常に「知的生産」があるのです。
多くの人が「知的」と考える活動ではない、ツイートを書いたり、ブログを更新したり、絵を描いてみたり、曲を作ってみたり、あるいはとなりの人に話しかけるといったことであっても、それは「知的生産」でありえます。
この「知的」の壁を破るところに、きっと多くの人が「自分も知的生産をしていたのか!」と気づくきっかけがある気がするのです。### 「知的」であることが「知的生産」ではない
一気に卑近な例にもってきて恐縮なのですが、最近興味深くながめていて飽きないのが、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」の登場によってかつての史実や情報が大量に共有され、ファンのあいだに広がってゆくさまです。
ゲームの話ですし、多くは悪ふざけやはしゃいだ雰囲気のものも多いので、「知的」という言葉の厳粛さが当てはまらないように見えますが、私はこれが知的生産だと躊躇せずに言えます。たとえばこちら。
こうした、かつての連合艦隊についての単純なデータとしての「情報」はWikipediaや書籍をみれば見つかるものなのだから、なんら新しいものではないという意見もあると思います。
でも、こうしてゲームが登場し、そのファンの間で理解できる文脈でわかりやすく情報が再構成されて発信されていくのは、あたらしい情報の誕生だということができます。少なくとも、それを知らなかった人に吸収しやすい形での情報発信なのです。
学問に携わったり、頭のいいことをいうことが「知的」なのではなくて、情報が自由に泳ぎ回れるように新しいクラスタに新しい文脈のなかに解き放つことが「知的」なのだという部分に納得がいくと、この言葉はかなり手元に近づいてきます。
なんだ、自分だってやってるじゃないか!という具合に。
スキマを埋める人となる
先日刊行した「知的生産の技術とセンス」でも苦心したのが、決してこれを学問的な高尚な話にしてはいけない、でも程度が低い話にしてもいけないという部分です。
梅棹忠夫先生はこれをよく把握していて、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら - 情報 - をひとにわかるかたちで提出すること」と、噛み砕いて解説しています。
これを今の世界で表現するなら、さきほどのようにツイート一つであっても、それがなにか新しい情報を私につたえるものであったなら、それは知的生産なのです。
残念なことに、この広い概念を表現する言葉は、いまのところないのですね。倉下さん(@rashita2)もブログでこのように書いてます。
「知的生産」という言葉は、「知的」が持つ偏ったイメージもさることながら、「生産」という言葉がどうしても産業寄りの雰囲気を醸し出してしまいます。もちろん、産業における知的生産行為は非常に重要なのですが、もう少し広い視野から見た社会活動の中でも知的生産行為は欠くことのできないものになっていくでしょう。 (「知的生産」に代わる言葉を求めて 〜あたらしい知的生産試論(1)〜)
そう、梅棹先生の時代は「工業」から「知的産業」に移行する時代で、だからこそこの言葉は輝く新しさをもっていたのですが、情報が泳ぐ舞台が圧倒的に拡大した結果、ちょっと言葉として場違いなタキシードのように重くなっているんですよね。
しかし言葉の重さはどうあれ、「知的生産」のもつ可能性はいや増しています。
たとえば「艦隊これくしょん」と「史実に触れることが少なかった若者層」という界面に巨大な情報発信のポテンシャルが生まれ、どこにこれだけの艦隊オタクがいたのだろう?と不思議に思うほどの人がにわかに参上したのと同じように、あらゆる情報の界面はそれを埋める人を待っています。
ここに、あらゆる人が生き抜く上で「知的生産」が強力な武器となるヒントがあります。
たとえば就活をしている学生は、自分がとなりの人と同じではないことを証明するために、どんな情報に触れ、どんな意見を持てるのか、つまりは「自分はどこを埋めることができるのか」を説得できなくてはいけません。
仕事においては、いち早く界面を見つけることが、ビジネスチャンスにつながります。「ここには説明されていないものがある」「ここにはまだ提供されていない利便性がある」といった具合にです。知的生産に慣れた頭だからこそ、みつけられる穴があるわけです。
そして単純に、そこにかけるべき言葉がある、この人にはなにか可能性があるといった予感めいたものにも、気づくきっかけとなるでしょう。
ちょっと大げさかもしれませんが、あてにならない才能よりも、未来の努力よりも、今目の前にある世界にあるスキマをみつけ、それを埋めるアイデアを出せること、これが最強の武器なのではないかと思うのです。
というわけで広告
このように、梅棹先生の「知的生産」にアジテートされて、それならばと今の世界ならこうだろうと、書いたのが、先日刊行された「知的生産の技術とセンス」です。
今日の話題は「知的」ということは字面のとおりでなくてはよいという部分にとどまっていますが、この話題は本書の最大のテーマである「センス」の部分につながっていきますので、それはまた次回。
もし書店でみかけましたら、手にとっていただけると幸いです。
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