震災、Evernote、そして情報の地層の考古学者について
二年前のことです。
東日本大震災から多少時間をおいたころにEvernoteのミートアップがありました。
裏方でお手伝いをしていた関係もあって忙しかったのをよく覚えていますが、イベントが終わって会場から出るときに、私はCEOのPhil Libinさんをつかまえました。ずっと気になっていたことを聞くためです。
私は質問しました。東日本大震災では多くの人がなくなったけど、その中にはEvernoteを使っていた人も少なからずいたのではないか。彼らのデータはどうなるのか。遺族がいるなら、それを渡す方法はないだろうか。### 主を失ったデータ
Phil は沈鬱な顔で私のほうをみながら「それは我々も考えていた」と答えました。
「一人一人のEvernoteの内容は私たちにも読めない。でもあの日を境に、周辺地域でアクティビティがなくなったユーザーを、そして、そのおおよその数も、私たちは把握している」
ああやはり、と私は思いました。日本の震災もどこか別世界のことと受け止められているアメリカで、いち早く日本への義援金や一ヶ月のプレミアム無料化を決めていたEvernoteです。ユーザーのことも心配で仕方なかっただろいうというのは、すぐに想像がつくことでした。
しかし、とPhilは続けました。それが本当に震災で犠牲になった人なのか、単に使うのをやめた人かは分からないし、犠牲になった方がわかったとしても、本人がノートを遺族に見せたいと思っていたかは分からない。いずれはやらなくてはいけないが、ユーザーが死亡した際に、どのようにデータを扱うかについてはまだまだ模索中なのだと。
それは理解できることでした。そして私たちは自分の死後に公開していいノートブックやタグを作るといった方法や、プライバシーの問題に抵触しない受け渡しの方法はないものかと、しんみり言葉を交わしてその場の会話は終わりました。
しかしそれ以来、私の脳裏にはクラウドサーバーの片隅で二度とアクセスすることのない主を待ち続けている記憶のかけらの存在が、こびりついて離れなくなったのでした。
データの地層をめぐる考古学者
私はこんな想像を時々します。
これから何年もたって、EvernoteやFlickr、そして多くのクラウドサービスが無数の記憶、無数の風景、無数の想いを受け止めて、そのデータを作った人の多くが去ったのち。
私はそのデータの海を辿り、歴史書には書けない記憶の地層を掘り返す考古学者になれないものかなと。
これまで歴史は大きな出来事や、影響力を示した少数の人物を中心にして単純化した形でしか描かれることはありませんでした。近代になって膨大に資料が増えても、それを横断的に扱う方法は限定的です。
しかし、クラウド化したデータが膨大に蓄積されるようになった世の中では、ありとあらゆる人の、ありとあらゆる行動は、そのコンテクストを離れて活用可能になります。
実例を挙げると、たとえば2009年のオバマ大統領の就任式があります。この式の様子はその場にいた無数の人の写真から Photosynth という手法をつかって3Dレンダリングされて保存されています。
一人ひとりの来場者は自分の立っている地点からオバマ大統領を撮影しているのですが、それを集めるとその場を三次元で再現できるのです。「無数の撮影者が立っていた場所」というコンテキストが剥ぎ取られて、大統領就任式という事跡が立ち上がるのです。
同じ事は、原理的に清水寺のような観光名所でもできます。すべての観光者の写真をつなぎ合わせるだけでも清水寺の長い長い歴史を日単位で追えるはずです。
写真の例はわかりやすいですが、これを震災やイベントなどといったできごとに対するツイートの集合体にすれば芸術家の会田誠さんが震災時のツイートを織り込んで制作した「モニュメント・フォー・ナッシングIV」に近いものができあがります。しかも時間方向に常に遡り、進めることもできます。
そしてさらに奥深くデータに分け入れば、時代の空気のようなものを、何百万人もの人がクリップしたEvernoteのノートや、そこに残した記憶から見つけることも可能ではないかと思うのです。
そんな素敵な考古学者になれたらと思うのです。
ログをとり続けること
ログはそれ自体にも価値がありますが、ログとログが対話するところには奇跡がうまれます。しかしその前提として、どのように使われるのか予断が挟まれないログの存在が必要です。
私が死ぬとき、それが明日なのか、何年も先のことなのかはわかりませんが、私はそれまでに可能な限り多くのデータを検索可能な形で解き放っておきたいと願わずにはいられません。
震災に際しては Google が未来へのキオクプロジェクトなどを通して、さまざまな形で過去を再構成する試みがすでに行われています。
そしてこれから、未来にどのような情報の地層が出来上がるかは、私たちにかかっているといってもいいでしょう。
だから今日もブログを書いて、写真をアップして、思ったことをつぶやいて、Evernoteに記憶を保存して、「いま」をデータの中に編み込んでいるのです。
The future is what you make of it.