「頭脳は関係ない」自信をなくした学生へのMIT卒業生のアドバイス

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「もっと頭がよければ」難しい問題をまえにしてそんなことを思うことがよくあります。おもえば大学時代からこの力不足を意識して、自分に幻滅する瞬間もよくありました。

そんな、難しいハードルを前にして立ちすくむ人向けの、Study Hacksの素晴らしい記事がありました。

もともとこの記事は、「思ったほど自分は頭がよくなかったんだ」というRedditのスレッドで、そこには700近い返事があったのだそうです。そのなかで、MITを卒業したという人の返信が一番秀逸です。

元記事から訳してみました。

MITを卒業できない人は、入学して、いままでみたどんなものよりも難しい難題に直面して、どのように助けを得るかも、どのようにその問題に取り組めばいいかもわからずに燃え尽きてしまうんだ。

それに対して無事に卒業する学生はその難題をみて、力不足という思いや、自分は愚鈍だという気持ちと戦い、その山の頂に一歩ずつ歩を進める人だ。**多少の傷ついたプライドなど、頂上からの風景をみるためなら安い対価だと知っているからなんだ。**彼らは自分の力不足を認めて助けを求める。彼らは頭脳が足りないせいにしたりしない。自分自身のモチベーションの低さのせいだと考えるんだ。

一年生の頃、僕はもうすこしで微分方程式のクラスを落第するところだった。僕はなんとかそこから立ち直り、勉強で成功をおさめることができた。4年生になったころ、僕は一年生に同じ内容を教えて、彼らが同じような力不足の気持ちを乗り越える手伝いをした。MITを卒業する頃には、僕ははじめに入学した頃に見上げていた先輩のようになれたわけだ。

**あなたが「燃え尽きそうだ」と感じている瞬間は、実際には「燃え尽きようかどうか」を考えている瞬間に他ならならない。**それを認めるのは怖いことだ。というのも、頭脳や他のもののせいにできなくなるからで、結局は自分で引き受けなくてはいけなくなるから。

でも同時に、それは力づけてくれる考え方でもある。無力感に苛まれていても、何かできることはあると思えるから。

だからそれをするんだ。

これは「努力不足」では片付けられない勇気のわく話のような気がします。「力不足だ」「自分はなんて頭が悪いんだろう」「どうしてこんななのだろう」と自問自答する感情はありふれたものだとした上で、この感情を起点として助けを求めてもいいんだと教えてくれます。

欧米でもそうですが、日本では特に「最初から助けをもらわずに完璧に出来る人」「涼しげに難問を片付けている人」のほうがクールですごいと考える風潮があるように思えます。でもそんな人、本当はそれほどいませんよね。

助けを求めても、泥臭く実行したとしても、最終的に問題をクリアできていればそれは成功なのですから、そんなスマートなやりかたはそもそも目指す必要なんてありませんよね。

今更学生には戻れませんが、この考え方は一生使えると思うので参考にしたいと思います。

p.s.

そもそも「ライフハックとは『スマートにやる』ことというイメージを持っている人も多いみたいで、なんだかそれって「ハック」じゃないんじゃ…とツッコミを入れたくなることも…って、そんなことどうでもいいですね。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。