「不幸せな気持ち」でもいいじゃないか

storm It’s Okay to be Unhappy | Scott H Young のブログ

不況、雇用不安、政治の混乱と、なんだか暗いニュースばかりが続いています。こうも同じニュースばかりだと、嫌なニュースはそもそもみないとか、明るいニュースだけに着目するという選択肢もほしくなってきます。

そんなことを思ってブログを渉猟していたら、Scott H Young が面白い意見を述べていました。それは「不幸せな気持ちでもいいじゃないか」というものです。誤解を招きやすい内容ですが、理解したとき、なんだか気持ちが楽になりました。

この年末を暗い気持ちで過ごしている人も多いと思うので、なにか助けになればと思ってご紹介します。

あなたが思うほど、他人は幸せではないかもしれない

クリスマス、正月というと、明るくてめでたいイメージがあって、テレビでも CM でもなんだか暖かい映像ばかりが流れています。ともすれば「ああ、みんな楽しんでるんだろうなあ」と寂しさが際立ってしまいがちですが、これが精神的な落とし穴になりかねません。

心理学の研究によれば、多くの大学生のアンケートによれば「自分よりも、他の人の方がもっとお酒を飲んでていて、異性とつき合っていて、良い時間を過ごしている」と考える人が多くいるのだそうです。この研究は私も読んだことがありますが、これは**「他人の方が自分よりも幸せに違いない」と考えてしまう潜在的なバイアス**で、民族と性別を越えて存在するものだそうです。

自分が「あいつの方が楽しそうだな」と思っているとき、割合大きな確率で、向こうもこちらを見て同じことを考えていると言えるのです。

つらさ、寂しさは、精神のバロメータ

じゃあ、「さびしくて、不幸せな気持ちなんて嘘なのか」というと、もちろんそんなことはありません。こうした悲しい気持ちは、最近あったできごとに対する正当なる反応だったり、あなた自身の心が置かれた状態を正直に表しているもので、それを感じることに何の問題もないのです。

しかし Scott がブログで書いているように、『幸せ』であることを成功に、『不幸せ』な気持ちでいることを失敗・欠陥であるかのように結びつけがちな現代社会では、**不幸せな気分を抱くこと自体がなんだか敗北者の烙印を押されているように感じてしまう状態に陥りかねません。**これは明らかに行き過ぎです。

先日、よくコメントをくださる niji さんとお会いしたときに、「今の社会は喜怒哀楽の怒が許されない。怒りのかわりに、他の感情を使わないといけない」という興味深い話を伺いましたが、ともすれば私たちの社会は「哀」さえもうわべだけの元気のなかに封じようとする傾向があります。

それよりはむしろ、**悲しいことにも、不幸な気持ちにもちゃんと理由があるのだから、「今は悲しい時期なんだ」と、それを過少評価も、過大評価もせずに正面から受け止めよう。**それが元記事の趣旨のような気がします。

テレビや CM で『明るくなれよ! だってクリスマスじゃないか? 正月じゃないか?』とけしかけられても、「自分だけが寂しい思いをしているのではないか?」「世界からつま弾きにされているのは自分だけじゃないのか?」と絶望しなくてもいいよ、というわけです。

気休めに過ぎないといわれればそれまでですが、絶望が立ちはだかろうとしているこの時期に、自分の心で不安と哀しみを増幅していては、来るべき戦いで生き残れません。心を大事にして、今を乗り切りましょう

しかしそれでも、このクリスマス・正月が一人でも多くの人に心安らかなものになりますように。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。