私たちの生まれながらの権利。それは失敗することだ

reaching.jpg Is it worthy? | seth godin’s blog

「勝ち」だとか「負け」といった話が当たり前のようにさまざまな本やメディアで語られているのを聞くにつけ、私はいつもこれは「たとえ」なのだと思って読んでいました。

本当に「勝つ」のではなくて、「成功しつつある人」のたとえであり、本当に「負け」なのではなくて、「今ちょっと調子が悪い人」というたとえの意味での言葉なのだと。でも最近はあまり確信がもてません。本当に「勝ち」と「負け」のデジタルで理解するように使われているのだったらどうしようかと心配ですらあります。

定量化、数値化はもちろん大事なのですが、いわゆる「成功本」の「成功」を、年収○○円と読み替えて、本を読み終える頃に現実とのギャップにため息をついている人が、もしいるのなら、次の Seth Godin の知恵に満ちた言葉が力になるかもしれません。

Seth のこのちょっと異色の記事は、この効率化とコストパフォーマンスの社会に生きている私たちの不安を直撃しています。ちょっと解釈が難しい記事なのですが、紹介せずにはいられませんので、まとめてみました。

これで全部なのか…?

Seth はこの記事で「これが自分の限界なのか…?」「これでは不十分なのでは無いか…?」と疑念を抱いている人の独白を通して、「十分に成功できなかった」人の心の声を代弁しています。たとえば次のような自問自答:

「この電話が顧客からの連絡で一回鳴るために $300 ドルの投資をした。私に、その $300 に見合う返事ができるのか?」

「高い教育と大きな努力をはらって得たものがこれでいいのか? これが望んでいた結果なのか?」

これはもちろん、さらなる高みを目指す人が前向きにいうなら道しるべになりますが、同時にそれは不安をもたらす呪いの言葉にもなりかねません。

もう一度上の文を、やりきれない、疲れ果てた口調で読んでみたら、Seth の言いたいことが伝わるのではないかと思います。ゴールテープのない世界では、「成功」への意思は容易に「これでは不十分だ…」という呪いに変ずるのです。

こんな「これでは不十分では?」と考え続ける人に向けて Seth は見事な言葉で、その呪いを解こうとしてくれています。

The object isn’t to be perfect. The goal isn’t to hold back until you’ve created something beyond reproach. I believe the opposite is true. Our birthright is to fail and to fail often, but to fail in search of something bigger than we can imagine. To do anything else is to waste it all.

私たちの目的は「完璧であること」ではないのだ。ゴールというのは、批判されないほど完全なものをつくれるようになるまで手をひっこめていることでもない。私はその逆が真実だと思っている。私たちの生まれながらの権利は「失敗」することで、しかも何度も失敗することだ。**ただし、「失敗」は私たちがそれまで想像だにしていなかった大きなものに挑戦し、それを探し求めてのことであるべきだ。**そうでないなら、全ては無駄になってしまう。 ゲームとは違って人生にはゴールテープがあるわけではないので、どんな「勝ち」も「暫定」という但し書きが付くのと同じように、どんな負けにも「暫定」が付いて回ります。

Is it worthy enough? という疑念が湧く時には、「私はより大きなものに挑戦しているか?」と問いかけて、その結果としての一時的な敗退や、力の蓄えは「勝利」に数えてもいいのかもしれません。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。