
いつも小さな幸せをわけてもらっている The Happiness Project で、1分間のショートムービーが公開されています。娘さんを学校まで送り迎えしているうちに気づいた「小さな幸せ」についてムービーにしたものです。
なんと言うことはない、小さな「気づき」の瞬間を1分間に凝縮したものですが、それにしてもこれはずるい。この音楽に乗せてこの文章はずるすぎます。1分だけで良いので時間のある方はぜひご覧になってみてください。
1分も無いという方はムービーの英語を下に訳しましたので、それだけで雰囲気は掴めると思います。
昔、とはいってもそんなに前のことではない頃、
私の娘は小さすぎて学校まで歩けなかった
だから私たちは市バスを使っていた毎朝、私は歩道をバス停まで彼女を手を引いて歩き、
毎朝、私はじれったい思いで3番街を眺めていた
その間、彼女は薬局の窓の向こうの宝物に心を奪われていた私は別にバスに乗るのが嫌いというわけではなかったけれども、
休みの日はご褒美のように感じていた私は安堵とともに、「ああ、今日はバスの送り迎えがない」と
思ったものだった。そしてある朝。
「みてお母さん!みて!犬だよ!」
どうってことのない普通の散歩中の犬を指差して彼女が歓声を上げた。その瞬間、私の目が開いた。
これこそが親であることなのだ。
これこそが我が子の大切な子供時代、
これこそが人生そのものなんだと。いつかー、そう遠くない未来、私たちは一緒にバスに乗ることはなくなる。
そして私はそんな大切な時間を愚痴っぽく浪費しているのだった。それからというもの、毎朝、私はこう考えるようになった。
「ありがとう、今日もバスに乗れる」私の小さな子はもう大きくなって、私たちは学校までの
10ブロックを歩くようになった。彼女はまだ私の手を
つないでいるけれども、それだって、そのうち終わること
を私は知っている。「バスに乗って学校に行っていた頃を覚えている?」
私は時折聞いてみる。「覚えているわ」彼女はそう答える。
「バス乗るの、好きだった」
「私もよ」私はそう答えるのでした。一日一日は長い、でも年月は短い
見てみれば、なんだそれだけのことか、という程度の「気づき」ですが、私にとってこうしたものはユビキタス・キャプチャーする情報のなかでも最も貴重なものの一つです。
常に未来に向けて計画をたて、今手にしていないものを手に入れるため行動していると、時としてこうした目の前のものを軽んじてしまう瞬間があります。人間が体験できるのは、過去でも未来でもなく、現在だけだという基本的なことを、忘れてしまうのです。
そのためにも、このようにどうってことのない「気づき」であっても、メモという形で記録しておき、過ぎ去ってももう一度思い起こせるようにしておきたい。何度でも再生可能にしておきたい。それが、私がキャプチャーする項目の中に、「思い出」や「小さな幸せ」を入れておく理由です。
今日の夕飯は、タケノコご飯にアスパラ炒め、そして角煮と私の好物ぞろいでした(基本的に全てのものが好物ですが、特に…)。ふと1年前のモレスキンを取り出して、見てみると、去年のこの季節も、旬のタケノコとアスパラに舌鼓を打っている記述がありました。それだけのことですが、それは書かれていなければ過ぎ去って、消えていたはずのことなのです。
そんな小さなことに気づくためのデバイスは最先端のガジェットでも、インターネットを駆使したウェブアプリでも携帯でもなく、いつも手放さないこの一冊の手帳なのです。
p.s.
いろいろ考えるところがあって、これから毎週日曜日に皆さんに届く記事は Happiness を題材に書くことにします。悪いクセを発揮して教導的な話をしないよう、なるべくちょっといい話を探してこれるように挑戦してみます。









