「ありがとう」は思考の近道になる

thanks.jpg 店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。 | Yahoo 知恵袋

去年の年末、サンフランシスコで歩いていたときに10メートルほど先でカートを押しながら歩いていたホームレスの男性が、足をもつれさせて盛大な音を立てながら横倒しに倒れました。すぐに起き上がるかと思ったら、横になったまま手足をばたつかせていて、起き上がる様子がありません。

そのとき私は現地で合流した研究の同僚と歩いていたのですが、二人とも瞬間的に足が動いて、“Hey, are you all right?” と声をかけながら腕をつかんで助けおこしました。アルコールか何かで眠たそうだったその人はすぐに立ち上がり、私たちもすぐに立ち去りました。

こんな当たり前の行動は、べつに「優しい人間」だから実行しているわけではありません。「そうすべきだ」と考えているからでもありません。実際、私は何も考えてはいないのです。

「空気を読める」ようになるべき?

Yahoo 知恵袋で、店員などに「ありがとう」と言うのに違和感を感じるという方の相談が乗っていて、多くのブックマークを集めているのを読んだとき、この時のことを思い出しました。

「ありがとう」といわれると馴れ馴れしく感じてしまうとか、上から目線のようで違和感を感じるというのは世代間のギャップもあるでしょうし、個人のポリシーもあると思いますので何が正しいかは私には論じられませんが、気になってくるのはこうした話題が向かう先として、

じゃあ、『ありがとう』といわれたくない人もいるかもしれないので、今後は店員の年齢や、接客態度、相手の雰囲気を読みながら『ありがとう』というべきかいうべきではないか考えるべきか?

という話になりそうだという点です。つまりは(狭い意味で)「空気が読めるようになるべきか?」と言い換えてもいいかもしれません。

気遣いはすばらしい美徳だと思うのですが、この例はちょっと私の性能の低い脳には複雑で負荷がかかりすぎる思考だというのが本音です。「ありがとう」というべきか否かと考えること自体が、不必要に複雑に感じてしまいます。

それよりは、たとえ他人からみてちょっと違和感があったり、いまの世間的な常識から多少ずれていたとしても、自分にとって正しいと思えるルールに準じて自動的に行動すると、それが結局は思考をセーブし、ストレスも減らし、もっともよい結果をもたらしてくれるケースが多い気がしています。

「ありがとう」をポリシーにする

むかし、アメリカのラジオ電話相談室のカウンセラーが “Do the right thing” をキャッチフレーズにしていたのが、とても好きでした。複雑な悩みを持ち込む視聴者たちに、彼女は Do the right thing! と明るく声をかけて、一番単純で、一番正しい行動が、結局はもつれた感情の糸を解きほぐす近道であると説いていました。

私たちはときどき複雑に考えすぎるあまりに、単に「正しいこと」を愚直にやっていれば済むことを、無用に遠回りにしてしまったりしているわけです。

複雑に考えてしまうのは頭が混乱しているからではなくて、「相手が気を悪くしたらどうしよう?」とか「この発言は相手にどのように聞こえるか?」という気遣いがあるからです。根本には「優しさ」があります。

しかし 80% ほどのこうした気遣いは無駄に終わっていることが多く、悩んだり考えたりした分だけ損だったりします。それよりはたいていのことに関しては「正しいと思うから実行する」というポリシーのもとで思考を自動化した方が効率がよくなりますし、「あの一言は間違っていただろうか?」と、あとで気に病んだりしなくなります。

こうしたルールにはたとえば、

  • 店員には心を込めて「ありがとう」と言う

  • 間違っていたら「ごめんなさい」と言う

  • 朝会ったら(仲の悪い人でも)「おはようございます」と言う

このような、自分にとって当然のことなどが含まれます。どんな場合でもこの行動は自動化していますので、「言おうか?」「言わないでおこうか?」という思考のオーバーヘッドは、そもそもなくなります。

ほかの人と話していたときに耳にしたポリシーには、

  • 電車では必ず立つ → 空いた席を争うストレスを減らす

  • 週刊誌は歯医者の待ち時間でも決して読まない → 不確実なうわさ話につきあう時間を削減

  • 相手が無礼でもこちらはあくまで丁寧に話す → 相手にあわせて慣れない格闘場に飛び出さず、自分になじみのあるスタイルで話し続ける

というようなものもありました。人によっていろいろありますが、目指すところは一緒です。「自分ルール」で行動を自動化し、「やろうか・やるまいか?」と考える無駄な部分をスキップしているわけです。

「でもこれじゃあ、『ありがとう』がただの反射になっていて、心が失われている気がするけど?」と言われるかもしれませんが、自分の経験では普段から100回でも200回でもこうした「良い言葉」を使っている人は大事な場面でも心を込めてこうした言葉を口にできる傾向にあるようです。

もちろん、上の理屈でいくなら「店員に『ありがとう』と言わない」という自分ルールだって、それがその人のポリシーならあり得ますが、それはまあ、なんというか、寂しいですね。ちょっとぎごちなくとも、やはり私は言葉がある世界に生きたいです。

こんにちは。さようなら。ごきげんよう。ごめんなさい。ありがとう。

読んでくださって、ありがとう。

また明日!

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。