ブレインストーミングは死んだ! ブレインストーミング万歳!
LifeDev 経由で読んだのですが、「チームによるブレインストーミングはそれほど効率的な発想法ではない」という研究結果について紹介する記事がありました。
心理学者の研究によると、何人かの人を集めてブレインストーミングのセッションをしたのと、個々の人に一人で発想をさせてあとで持ち寄るのとで、有意な差は見られなかったという研究結果です。
「ええ? そんな! じゃあ今までブレインストーミングをやっていたのは無意味だったの?」と思われるかもしれませんが、答えは yes でもあり、no でもあると思います。
ブレインストーミングを殺す要素
非効率的なブレインストーミングならやらないほうがましという意味ではみんな意見が一致すると思います。英語版 Wikipedia の Brainstorming の項が非常に詳しいのですが、ここに書いてあることをまとめると、ブレインストーミング効率を下げてしまう要因には次のようなものがあるようです。
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問題設定が絞り切れていない: よく「ブレストしよう!」と言い出す人に限って、いくら言い合ったところで解決できない問題を議題に挙げることがありました。これはブレインストーミングをしているのではなくて、現状への不満をどれくらい別の言い方で言えるか試しているに等しいことがあります。まず議題を明確にしておかないと失敗は保証済みです。
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問題に対する背景の共通認識を作らないままセッションを開始している: まず最初に、バックグラウンドの説明がないと、せっかく提出したアイディアが別の人に「いや、それにはこういう話があってダメなんだよ」という具合に否定され、ブレインストーミングが一進一退になってしまいます。
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その問題を議論するのに必要な人材が欠けている、あるいは多すぎる: よくある話だと、企画を作る人と実装する人とが同じテーブルについていないので、片方だけでブレインストーミングをしても何の成果も上げられなかったという場合があります。また、アイディアが豊かで議論に参加してくれる限られた人を選んでブレインストーミングをするとことも必要なのですが、人材不足や組織の壁でなかなかできませんね。
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自由に意見が言える環境が整っていない: これが致命的です。意見が批判されたり、揶揄されたり、上下関係で押しつぶされないようにする工夫がとられていない場合が多すぎます。ブレインストーミングをしているときはアイディアへの評価は後回しだということを忘れてしまうことがなんと多いことか(自分を含め)。
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セッションのまとめ役の経験不足: 意見の交通整理をしたり、理解しにくいアイディアをかみくだいて全員に提示したり、時間管理や、問題から議論の流れが外れたときの対応など、D&D のダンジョンマスターのような経験をもっている公平なまとめ役がいない。
ミニ・ブレインストーミングの裏技
心理学の原論文の方を読んでいないのでここから先は無責任に書きますが、私はやはり異なる専門分野をもった少数の人でのブレインストーミングは有効だと思っています。心理学の論文は制御された状況下で実験をしているでしょうから、こうしたシナジー効果についてはなかなか研究が進んでいないのではないでしょうか?(間違っていたらすみません)
自分の研究分野では、似たような知識と経験をもっているけれども違うことをしている人同士で行う議論がもっとも効果が高いといつも意識しています。知識と経験が似ているので、無理難題を言われることは少ないのですが、それでいて自分とは違っている意見には使えるものが非常に多いのです。
こうした人と2,3人で白紙の紙を前にして白熱したアイディアの応酬を繰り広げると、相手の考え方が触媒になって自分のアイディアが広がり、思ってもみなかった解決方法が発見できたりします。
でも、「さあ、ブレストするぞ!」と言って人を呼び集めることはなかなかできませんので、よく使う手が昼食のときに一番議論して楽しそうな人だけを誘い、食べている最中にさりげなくブレストを始めてしまう手法です。
食べているときは偉い人でも割合ガードが下がるものですし、時間制限も食べ終わるまでと決まっています。あとはこちらの話術で「じつは気になっていることがあって…」とカードに書かれた問題点をテーブルに出して、その場の勢いで出てくる意見を暗記するか書き留めてしまいます。
もちろん、意見を集めるばかりで意見を提供しない人間と思われないように、相手が話題にするアジェンダに真摯に考えることも必要です。ふだんから、こうしたミニ・ブレインストーミングを誰彼ともなくふっかけています。毎回成功するわけではありませんが、興がのってくると紙ナプキンの両面にアイディアがびっしり、ということもたまにあります。
こうして考えると、ブレインストーミングの効果は、それを始める前に培われた少数のチームとの連帯感の中から生まれてくるものが多いわけで、手法そのものに魔法があるわけではないのかもしれませんね。ということは、やはりブレインストーミングは死んでいるのか…。いやいや…。
(○○は死んだ! ○○万歳!、という不思議な言い回しの歴史についてはE.H.カントローヴィッチの「王の二つの身体」(下) 第七章に詳しく書かれています。ああ…理系のくせに文系オタク)