豚組しゃぶ庵のオンライン化と「オウンドテイクアウト」という未来

ここ数年、「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」の三冊の単著の出版のたび、出版記念イベントの会場として六本木にある「豚組しゃぶ庵」さまにお世話になってきました。

「豚組しゃぶ庵」は豚しゃぶの美味しさももちろんですが、立地の良さや個室の利用のしやすさ、そしてスクリーンにプロジェクターも完備されているホール部分のイベント会場としての利便性の高さで並ぶ店がなく、この10年困ったことがあればいつも頼っていました。

その「豚組しゃぶ庵」が10月末をもって閉店してしまうという知らせがオーナーの中村仁さん(@hitoshi)から届き、私も一人のファンとしてとても悲しんでいました。

自分自身がイベントを開催したり、イベントに参加した回数、個人的な会食や秘密の会議なども含めれば、この10年で豚組を百回近くは利用しているはずですし、そのひとつひとつに忘れがたい思い出がつまっている大切な場所です。

中村仁さんの記事でも触れられていますが、Evernoteが日本語化する前に当時のCEOだったPhil Libinさんをお迎えした伝説の会があったのもこの豚組しゃぶ庵の個室でした。

これ以外にも数え切れない記憶と結びついた豚組しゃぶ庵がなくなってしまうことはつらい出来事です。しかしこうした感情と切り離して中村さんの記事を読むと、この降り掛かった災厄を乗り越えるための知恵が見えてきます。

外食が変わる。体験をする「場」が変わる

中村仁さんの記事では、いかに豚組のクオリティであっても鍋料理は家庭でも再現可能であるために新型コロナウィルスのために外食の機会が減った世界では生き残ることが難しいという事実が感情を廃して書かれています。

これは別のイベントで同じく仁さんが語っておられたことですが、これまで常識とされていたことが、新型コロナウィルスによって逆転してしまったのです。

たとえば「駅前の一等地」「満席の店」「店舗優位性」といった価値はすべて「客がいる住宅街に届けられるか」「空席でも耐えられる = 席が必要ない」「よい常連顧客をもっているか」という価値に置き換わってしまいます。

興味深いことに、いかに家庭の冷蔵庫の性能が良くなっても、プロの揚げたてのクオリティを再現することが不可能なトンカツという業種はむしろ優位性が保たれるため、同じ豚組の屋号をもっている「西麻布 豚組」は閉店せずにさらに高いクオリティの経験を提供することを目指すのだそうです。

そして「豚組しゃぶ庵」は、閉店の悲しみの連絡から一転して、「オンライン移転 & 店舗再出店」を目指したクラウドファンディングへと打って出ました。

これまで店で食べるよりは少し残念な味になってしまうという印象だったテイクアウトをこだわりぬいて作り込むことによって、家庭に豚組の味を届けるというチャレンジを始めたのです。

じつはこの「家庭での豚組」については、この数ヶ月行われていた宅配セットをすでに利用して、家でもここまでの味が楽しめるのかと驚いていたところでした。

実際の「オンライン豚組」はさらにこのオペレーションを最適化して、全国への配送も目指すのでしょうから期待が高まります。

お気づきでしょうか? この「豚組のオンライン化」はまさに先程の価値の逆転を実装したものとなっているのです。

味を守りつつ店舗を仮想化し、満員の店を手放してゆるやかに成長する常連顧客にターゲットを絞り、店での経験を家庭でのプレミアムな経験に置き換える。まさに災厄を前にして別の生き物へと進化して適応しようとしているかのようなたくましさです。

豚組しゃぶ庵への信頼もありますし、そうしたチャレンジが支持されたおかげでこのクラウドファンディングは開始一時間未満で当初の250万円という目標を達成しました。

まだまだ、オンライン化した豚組をいち早く体験するためのリターンが用意されていますので、興味のある方はMakuakeのプロジェクトページで趣旨を御理解の上参加してみていただきたいと思います。

オウンド・テイクアウトという正当進化

いま、新型コロナウィルスの影響を受けている飲食店は数多く存在します。わたしもご縁があってそうした店舗へのアドバイスなどをまとめる仕事をプライベートで引き受けたりなどしていますが、状況は暗中模索です。

「豚組しゃぶ庵」のクラウドファンディングは強い信頼を数多くの常連顧客から勝ち取っている店の例ですので、これをすべての店で再現することはできません。

しかし取り入れることができるスタート地点として、テイクアウトで顧客との接点を生み出すという仕組みづくりがあります。

飲食店ポータルサイトやGoogleマップなどに掲載されていれば顧客が来てくれるはずという受け身の運営を一転させ、ホームページの運用やSNSの運用も、注文を通したカスタマーサービスもすべてオウンドで掌握して顧客との縁を深めてゆく戦略です。

そこで、豚組のオーナーである中村仁さんのもう一つのプロジェクト、オンライン予約・顧客台帳サービス「トレタ」が打ち出している「テイクアウト受付ツール」という取り組みの先進さが見えてきます。なるほど、このもう一つの顔があったからこそ、「豚組オンライン」という実装がすらすらとでてくるのだと敬服しました。

このシステムは一見、ECサイトのショッピングカートを作っているだけのようにみえますが、それは顧客視点ですから当然のことです。顧客からみて、サイトでポチッと注文してテイクアウトを取りに行くという以上の複雑さはいらないのですから。

しかし店舗側からみるとこれは自社サイトやInstagramといったオンライン上の活動がどの顧客獲得につながったのかの可視化につながりますし、トレタというサービス自体がもっている常連客の掌握という考え方につながっていきます。「縁」を可視化するサービスだといえばわかりやすいでしょうか。まったくすごいことを考えるものです…。

トレタテイクアウトについては中村仁さんの解説記事がとてもクリアなビジョンを提供していて、テイクアウトがコロナ時代の逃げの営業ではなく、むしろ攻めの手段になっていることがわかります。

単にオンライン化していれば、ECサイトがあれば「ネット対応した」といえる時代が終わり、客との縁を仮想化してオンライン上でつなぎとめることができるかという、必然をサービス化したのがトレタ・テイクアウトです。

そしてそれを背景の哲学としてもっている「豚組オンライン」というチャレンジが始まっているということに、閉店の悲しみを上回る興味をいだいています。

新型コロナウィルスという災厄は、この「新しい当たり前」としての店舗のオンライン化を一気に加速するかもしれない。その最前線に「豚組しゃぶ庵」があると思ったら、痛快極まりません。

ぜひこうした未来を見届けるためにも、「豚組しゃぶ庵」のクラウドファンディングに参加していただければと、お誘いする次第です。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。