「ちょっと時間ありますか?」というあなたへ。残念だが答えは「ノー」だ
いつも Medium で面白い記事を書いてくれている Ryan Holiday 氏が、「ちょっと打ち合わせできますか?」「ちょっと会って話しませんか?」「ブレインストーミングしましょう」と気軽に問い合わせてくる人に対して敬意をこめつつ「すまないが、ノーだ」といわなくてはいけないという話題について美しい文章でまとめていました。
なかなか現実に適用するのは難しいかもしれませんが、考え方のスタート地点としてわかりやすいと思いますので、抄訳でご紹介したいと思います。
今朝わたしに、丁寧で何の問題もない問い合わせをしれくれた人へ。
残念ながら私は「ノー」と言わないといけない。
あなたが何か失礼をしたというわけではない。あなたが時間があったら電話しないか、ミーティングをしないかとリスペクトをこめて問い合わせてくれたことは理解している。
問題はあなたではなく、私の方にあるのだ。私にはどうしようもないことがある。
それは私が一種の拒食症を患っているということだ。
驚かないでほしい。私は真剣なのだけれども、なにも深刻なことではない。この拒食症みたいなものは健康なもので、それが私に成功をもたらしてくれるのだ。
私は、カレンダー拒食症なのだ。
私はカレンダーのなかになるべく予定が少ない状態にしたい。それについては私は細心の注意を払っている。予定がなるべく最少の状態にあること、それが私に必要なのだ。
注意したいのは、なにも問い合わせをしたかたは失礼であったり、忙しいスケジュールのなかにさらに時間を割いてほしいと頼んだわけではない点です。時間はあるのですが、それを埋めたくない、それがRyanさんの願いなのです。
予定をいれることは可能ではあるだろう。でも自分にはそれができないのだ。
それが真剣にチャンスを与えてくれるもので、15分しかかからず、私以外の誰もがやっていることであっても、私には避けたいことなのだ。
ここでRyanさんはポール・グラハムの有名なエッセイ、「作り手の時間と、マネージャーの時間」を引用して、マネージャーというものは、時間を会話や交渉やミーティングで埋めてゆくことが仕事であるのに対して、Maker = 何かを作る人は、じゃまされない大きな時間の単位が必要なのだという点について触れます。
そしてなにか創造的な仕事をしたいなら、マネージャーの時間を追いかけているのではいけないと説きます。
時間は?時間はもっとも代替不可能な資産だ。それは決して買い戻すことはできない。一秒たりともとりもどせない。せいぜい、無駄にする時間ができる限り少ないことを祈ることしかできない。なのに、私たちは時間をなにか再生産可能なりソースのふりをしてしまう。
だから、私とチャットできないか、会えないかと問い合わせてくれた方へ。答えはノーだ。
申し訳ない。でも私はこのような症状に近いものをもっているんだ。 あなたが理解してくれますように。
問題は、わたしたちはマネージャーも兼務していること
大切な創造性を失わないためには、自分の人生をマイクロマネージメントしていてはいけないという言葉はとてもよく理解できます。
しかし一方で、私たちの仕事にどんどんと創造的な解決が要求されるようになり、しかし個人の仕事の進め方にはマネージャーの視点が必要と言われるのが現代でもあります。
多くの人はミーティングをすべて断ることもできなければ、他人から時間の使い方をあるていど束縛されることは受け入れなければそもそも仕事ができないのも現実なのです。
そうした時にできることは**「アーティストの時間」と「マネージャーの時間」**を意識してもっておき、ミーティングや、予定や、雑事や調整といったものを優先して行なう時間帯と、ゆったりと時間をかけて創造的な問題解決を目指す時間の2レーンを管理しておくことかもしれません。
時間があるのに、ミーティングの要求があった場合に「ノー」というのは最初は難しいものがあります。その時間帯になにもしていないことが相手にバレて、気まずい思いをするのではないだろうかという恐怖心はだれもが感じるでしょう。時間があるのに応対しないのは人として間違っている気もするかもしれません。
しかし、その時間は「なにもない」ことが目的の時間なのです。その空白があるからこそ、時間の器としてなにかまだ生み出されていない素晴らしいものを注ぐことができるのです。
「ノー」を管理しましょう。それはあなたの時間を取り戻すことにもつながるはずです。そして私が「ノー」といってしまった多くの人へ。どうかご理解いただければ幸いです。
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