「『夢中になる』ことから始めよう」エリザベス・ギルバートのチャーミングな作家論
年始はちょっと軽めの読書から始めようと、ディスカヴァー・トゥエンティワン様からレビュー用に一冊いただいていましたエリザベス・ギルバートの “Big Magic”、邦題「『夢中になる』ことから始めよう」を読んでいました。
エリザベス・ギルバートといえば、”Eat Pray Love”「食べて、祈って、恋をして」がミリオンセラーとなった作家ですが、このイタリア、インドと、インドネシアを遍歴する彼女の個人的回想録は、西洋人が東洋に対して抱きがちな多少浅薄なフェティッシュを経由して彼女がさまよえる自分自身をどのように受け入れていったかについてのチャーミングな本です。
この本がジュリア・ロバーツ主演で映画化されたころ、国際線で斜め前の乗客がこの映画を繰り返しみているのを音声なしに覗き込み、(多少の読唇術とともに)どんな映画かをだいたい把握して楽しんだのを覚えています。
エリザベス・ギルバートには、もう一つ有名な講演があります。それは ”Eat Pray Love” の成功の後、「次が駄作といわれたらどうするの?」と周囲の人に言われ続けたことを呼び水に、作家にとっての創造性について語った TED トークで、現時点で1300万回以上視聴されています。
本書、”Big Magic” 『夢中になる』ことから始めよう」は、この TED トークを下地にして、さらにその後数年の彼女の体験を、一種の自己啓発本としてまとめたものです。
しかし、そんな明快なテーマをかたるときでも、脱線して、夢みがちにならざるを得ないのがエリザベスの愛すべき欠点です。
クリエイティブに生きるということ
すべての人のなかには、創造性という贈り物がある。そしてそれを掴み取って人生というキャンバスに向かって描き出そうとする勇気を持つ人には、大いなる魔法がやってくるだろうと彼女は冒頭で描き出します。
それは作家であることにかぎらず、庭仕事をするのでも、趣味のスケートをするのでもよい、自分自身の人生を充実させるものすべてを指して、人生をクリエイティブなものとして考えることできるかどうかが、幸せにつながっていると彼女は書いてゆくのですが、このあたりから筆の行き先が怪しくなってきます。
「どんなひとにでも発揮できる創造性」の話題はいつしか彼女の作家としての苦闘や、心構えにとってかわり、いつのまにか本書は作家としての告白録という様子を呈し始めます。
あれ? この本ってエリザベス・ギルバートの作家論だったっけ? と思うわけですが、むしろこの迷走ぶりや、彼女が一番大切に思っていることを彼女が自分自身の言葉で書いてくれている場面のほうが断然面白いのですから仕方がありません。
ときおり、申し訳なさそうに作家以外の人にも適用できる一般論に筆を向けるのですが、そのあたりはむしろ曖昧で面白みにかけています。そしてすぐに、作家は書く際に収入を気にしているべきか、どのように作品の不採用通知をのりこえてゆくべきかという話題に戻ってゆくのですが、そのほうが面白くなるあたりが、逆説的な自己啓発本といえます。
エリザベスは私たちを啓発するつもりなんて毛頭ないのです。彼女は、あくまで現在の自分のためにこれを書いているのですが、読者としてもそれがチャーミングで心地よいのです。
これは自己啓発本ではない
本書のメッセージは、まとめてしまえば陳腐で、繰り返しどこかで聞いた号令に過ぎなくなってしまいます。しかし、そうしたまとめかたをするのはこの本には不公平といっていいでしょう。
これはあくまで不完全で、浮気性で、ふわふわと迷いがちなエリザベス・ギルバートが自分自身の内面と語り合っている個人的な作家論で、それを通して読者は共感しつつさまざまな教訓を得る本となっているのです。
これで納得がいったのですが、エリザベスは書き手としてはむしろ欠陥が多い、むら気の目立つタイプで、文章それ自体の美しさで読ませるタイプの作家というよりも、彼女自身にどうしても惹かれてしまうところに魅力があるのだと思います。
その彼女が書いたこの自己啓発的な、セルフ・ヘルプ本の体裁に押し着せた彼女の作家としての告白も、同じような注釈付きの魅力にあふれています。
思い込みが多く、不安定な彼女がどうして作家として生きるという一点において自分の人生に忠実であり続けることができるのか? 移ろいやすいクリエイティビティをつなぎとめるための考え方とは?
完璧なアーティストではない私たちだからこそ共感できる、個人的な創造的生き方の告白。それが本書なのです。
[ 「夢中になる」ことからはじめよう、エリザベス・ギルバート(ディスカヴァー・トゥエンティワン社)