ありがとうiPhone。10周年を迎えて考える、手のひらの相棒の未来

2017年の1月9日で、AppleのiPhoneが発表から10年を迎えました。

10年前、スティーブ・ジョブスが聴衆に “Do you get it?” 「わかるかい?これは一つのデバイスなんだ」とにこやかに告げたとき、配信をみていた私の頭のなかでも何かがスパークして、画面にむかって声に出して「わかる!わかるぞ!」と叫んだのを覚えています。

実際には、本当の意味でそのときのインスピレーションの意味を私が「わかる」のはさらに数年後だったのですが、あの瞬間の興奮はいまも私とともにあります。

しかし、その一方で、iPhone が10年前に登場したときの重要性と、今の重要性はもちろん違います。10年前をご存知ない、いわゆるスマートフォン・ネイティブなかたに、ぜひこのあたりの空気感の違いを読み取っていただけると、次にやってくるものが想像しやすくなると思います。

この10年でiPhoneが担ってきたもの、そしてこれからどこへと向かうのかについて考えてみました。

iPhoneがもたらした、5つの変化とその帰結

iPhoneほど世界的な大変化をもたらした製品を短い文章で捉えるのは難しいのですが、ここでは5つの断面からそれを試みたいと思います。iPhone以前と以後で決定的に変化して後戻りが不可能になった側面です。

一つ目が、モバイル性です。それまでの携帯電話がアクセスできたインターネットのサブセットのような世界をはるかに越えて、iPhoneはいつでもどこでも情報にアクセスできる土台を多くの人に与えてくれました。これはもちろん、iPhoneがOS Xを元に作られたiOSを搭載し、WebKit で駆動されるSafariが動作していたことによるもので、ジョブスが「Breakthrough Internet Communications Device」と表現した部分です。

あのプレゼンの3つの柱のうち、「電話」と「iPod」はすぐに理解可能でしたが、三番目はなんだか収まりの悪い言葉でした。というのも、それはiPhone以後にやってくる革命をうまく表現する言葉がなかったからといえます。

二つ目が、タッチインターフェイスです。それまではキーボードとマウスという操作系以外にコンピューターに接する方法はなかったのが、この技術によって私たちは指で情報を操るすべを学びました。

最初は学ぶ必要があったこのインターフェイスも、いまでは親の様子をみた赤ちゃんが自然に写真をフリックできるほどに、タッチスクリーンを前にした所作は文化の一部分になってしまいました。鉛筆のもちかたや、ホチキスのとめかたと同様に、人間に新しい所作を生み出す道具というのは、実に革命的です。

三つ目がクラウド化の加速です。これはiPhoneそれ自体の機能というよりも、iPhone自体がその先にある情報への扉 = ポータルとしての役割を担っていたので、否応なしに成長が促されたという副作用として考えられます。

Evernoteは最初携帯サイトをもっていましたが、本当に成長を始めたのはiPhoneアプリがリリースされてからです。クラウドにいれておけば、iPhoneからいつでもみることができるので、情報を分流させて扱いやすくしようというのは、拙著「iPhone情報整理術」のメインテーマとなりました。

四つ目はアプリストアです。最初こそ、AppleはiPhoneへのアプリはHTMLとJavascriptで作成せよと(当時としては)無理のある提案からスタートしていましたが、API の公開とともにアプリストアを完成すると、ソフトウェアの流通方法は完全に変わってしまいました。

最初のころは、Appleが許可したアプリしか流通しないことの弊害や、アプリストア自体が成功しないのではないかという懸念も多くの人が表明しましたが、その後の歴史はやはりこれが転換点だったことを証明しています。

そして最後、いまも進行中の五つ目の変化が、モバイルファーストにともなうデスクトップPCの退潮です。まだまだ仕事はパソコンで行うというひとが多いと思いますが、メールも、原稿も、たいていの作業がスマートフォンで可能になりましたし、そもそもパソコンはもっていないけれどもスマートフォンはもっているという人口が増えたために、技術的な範囲をこえて社会そのものへの変化がいまも進行中です。

アプリも、ゲームも、ウェブサイトも、街かどでのバスの検索も、公共施設での情報の入力も、なにもかもがスマートフォンを前提にしています。スマートフォンは人間の一部分になりつつあるわけですが、それを導く設計思想が、すでに10年前のiPhoneに込められていたのです。

スマートフォンの先に、なにがある?

こうした5つの変化を10年かけて生み出してきたiPhoneは、その先進性によって世界を自らを中心にした小宇宙に作り変えてきたといっていいでしょう。Androidとの競争ももちろん貢献していますが、最初にiPhoneがあったからこそ、この流れは生み出されたのです。

では次の10年はどうなるのでしょう?

あえて上の5つに注目してこの10年を俯瞰してみたのは、もう引き返せない変化と、これからも変わり続ける場所がわかりやすくなるからです。

たとえば、もう私たちはいつでもどこでも情報に触れることができるモバイル性を手放すことはないでしょう。しかしタッチインターフェイスは、ひょっとすると永続するものではないかもしれません。

クラウドはアプリを背後で駆動する仕組みとしてしばらくは前提になるものの、より空気のような存在になってゆくでしょう。しかしアプリストアや、アプリが画面上に乱立している仕組みは、永続するとは思えません。

たとえば、Mixed Reality デバイスのようなものが、いまの 100 倍の性能で 1/100 の値段で、使用しやすい形で製品化されたなら、私たちはいつまでも指で端末をぎごちなく操作するでしょうか? タッチにかわる新しいインターフェースのブレークスルーが起こったとき、iPhone の「次」の時代が見えてくるはずなのですが、それはどこから、どんな形でやってくるのでしょう?

そうした革命がもし起こったなら、ウェブはもういまのようにウェブページを通してアクセスするものではなくなるかもしれません。操作の大半は人工知能に頼り、人間は要件をMR空間から入力するだけで済むかもしれません。

そういう世界での検索はどうなるのでしょう? コンテンツの消費は? 知的生産の形はどうなるのでしょうか? 私たちはなにを楽しみ、なにを作ることになるでしょうか?

これらの変化の多くはもうすでに始まっているはずです。注意深くみるなら、次の時代の足音が聞こえてくることでしょう。iPhone がその扉を開き、やがて iPhone を置き換えることになるであろう、未来のデバイスの足音が。

(追伸)

冒頭の写真は Kazuhiro Shiozawa 先生のFlickrで公開されている写真です (Featured image IMG_4235 by Kazuhiro Shiozawa is licensed under CC BY-NC-ND 2.0)。

また、中程の写真は林信行さんの Flickr で公開された写真です (Middle image “Apple reinvents the phone” by Nobuyuki Hayashi is licensed under CC BY 2.0)。

どちらもこの記念すべき日の、思い出深い一枚ですね。感謝して使わせていただいています。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。