Mediumはブログの未来である

最近、ブログ「みたいもん!」のいしたにさんがメインブログを Medium publication に移行し、一部の人の間で話題になっていました。

みたいもん!からシン・みたいもんへ、メインブログをココログからMediumに移転

「メインを移しただと!?」「あれ、そもそもMediumってブログだっけ?」と気になる人には気になる話です。ブログ10年選手がホームを変えるというのは、それなりに背景があるわけですから。

移行の理由はこちらの記事に書かれているのですが、私が気になったのはこちらの行です。

次には私自身がネットで文章を書くことのバリエーションが増えてしまったこと。そのため自分のブログだけでPVを考えないようになりました。

この部分は軽く読み飛ばしてしまいそうになりますが、わたしもいま直面している悩みが率直に現れていて、わかるわかるとひとりごちてしまいます。

求められる才能(スキル)の多様化

以前ならブログを一つだけ持っていればよかったのですが、最近はもう少しだけ複雑になっていて、求められるスキルに応じてアウトプットの場所が多岐にわたるようになっているなかで、ブログの立ち位置が変わっているわけです。

たとえ話として適切かはわかりませんが、いまでは最後に「○○で検索」と促されないテレビCMのほうが少ないわけですが、そうした変化はCMだけを見ていては理解できません。CMがCMの先にあるウェブに向かって作られているのは、その輪の外に出てみないと見えてこないわけです。

同様に、ブログはブログの先にある何かに向けたアウトプット先の一つに過ぎなくなっている気がするわけです。

ブログ的なプラットフォームだけで、個人ブログ、オウンドメディア、Medium/noteのようなサービスが広がっており、さらにはSNS、写真共有サイト、動画、ライブメディアといったメディアが同時に同じ程度に求められ、同時に消費されている現状があります。

それを提供する書き手として、どのようなスキルが求められているかも当然多様化しているわけで、そういう理由もあって「ライフハックLiveshow」を始めましたし、ニュースレター、そしてオウンドメディア執筆なども最近は手がけています。

こうしたメディアの先にあるものを目指さないと、未来は見えてこないのではないか、そんな意識をもっています。

新しい贈与としてのMediumハイライト

そこで、なぜ Medium?ということになります。いしたにさんの記事では特にハイライト機能の秀逸さに触れてこうした指摘があります。

テキストをあくまでも文中にとどめてコンテキストを保ったままテキストを光らせるMedium

Mediumのハイライトというのはブログのトラックバックの再定義だったんです。

この部分は、読者がウェブにおける「贈与論」をすでに知っていることを前提に書かれているので少しわかりにくくなっています。

ウェブにかかれた文章はいかにして贈与されるのでしょう? それはもちろんリンクされ、シェアされることによってです。ウェブがパーマリンクとハイパーリンクだけの世界ではなくなり、リアルタイムに流れるカンバセーション = 会話の世界を含むようになってからも、それは変わっていません。

ところで、モースによる「贈与論」では、贈与された贈り物は必ず贈り主のもとに戻ります。機会や、権力や、様々な形をとるのですが、与えることは与えられることでもあるのです。

これはもちろん、ウェブにおいてはリンクによるページランクや、トラックバックによって他者の言葉が元記事へと遡ることに対応しています。

そしてMediumは、文章を切り取ることなくこれを実現しているところに痺れるのです。

skitched-20160907-131936

あなたの文章をわたしは受け止めた。その表明としてわたしはMediumで文章をハイライトし、ハイライトに言及します。そしてその言及は予想もしない贈り物として書き手のもとに還るわけです。

こうした仕組みを機能として組み込んでいる Medium は単なるウェブメディアの仕組みではなく、会話とシェアを通してアイデアの流通を行う場所であらんとしていることがわかります。

単なるウェブページとは違うのだよ、ウェブページとは!

Mediumはいかにしてブログの未来になるか?

Medium が単にランダムなテキストを置く場所なら、ブログの未来形というには物足りないものがありました。それを変えたのは、記事と記事のつながりを編集して著作物をつくり上げる publication の仕組みです。

いまは普通のブログが RSS や検索流入だけではなかなか読んでもらえない時代です。そんなときに、あらかじめスマートフォン向けのアプリが存在し、通知機能があり、自動的なキュレーションが効いている Medium というプラットフォームには、さらに大きな強みがあるわけです。

その一方で、ネットメディアの多角化があります。写真は Instagram、動画はYouTubeといったように、さまざまな才能を表現するためのメディアが成長してきて、増えてきているのです。

ブログが根っこになっていて、そこから才能が分岐するのではなくて、才能にあわせた媒体が増えている状況といってもよいでしょう。

そうした状況のなかで、Medium は「文章の YouTube」だと説明するとわかりやすいかもしれません。YouTube で動画が他の動画の呼び水になっているように、書かれた記事が他の記事へと導くところが面白いわけです。

逆にMedium のなかに、こうしたさまざまなメディアを収束させることも可能なわけで、まさに最新のメディアを、最新の方法論で拡散できます。たしかに、Medium はブログの未来形といっていいのかもしれません。

ここに文章を置けば、どこに向かって延びてゆくのか予想がつかない、そんなわくわくとした感覚を取り戻している気がします。

でも、話はまだここでは終わりません。まだ未来があるのです。それについては私の Medium アカウントに続きを書きました。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。