チャッピー、あるいは多様な無個性について
久しぶりにちょっとコラム的な文章を。
先日、急にFacebookのタイムライン上を、見覚えのある特徴的なアイコンが埋め尽くしていきました。デザインスタジオgroovisionsがリリースした「チャッピー」アプリで自分の顔を再現した人たちが一斉にそれを投稿していたのでした。
ふだん、素顔をさらしていない人までがシェアしているので大丈夫なのだろうか?と苦笑したものの、アプリはなかなかよくできていて、100個ほどのパーツと肌の色などを選ぶことで、たしかにその人の特徴をとらえたアイコンに仕上がっています。
しかしどれをみても、チャッピーをチャッピーたらしめている輪郭と眼の大きさは同じで、そういう意味では無個性なところもあります。
「多様な無個性」見ていてそんな言葉が浮かび上がってきました。### 私を、私たらしめる何か
もちろんそれはけなしているわけでも、アイコンを作っている人自身のことを無個性といっているわけでもありません。
チャッピーというデザインのもつ不思議な魅力の中に、これほどまでに多様にみえるのに、どこか個性を剥奪されて記号化された人間像があるということが面白かったのです。
考えてみれば、個性というのは難しいものです。目に見えるものばかりが個性だとは限りません。個性は他人からみて明らかであるとも限りません。
ルソーはその「告白」の冒頭でこんな、ちょっとうぬぼれた文章を書いています。「私は自分の心を知っている、そして同胞である人間たちも研究していえるのは、私は私の知る限り彼らの誰とも似てはいない。特に彼らに比べて秀でていることがないとしても、少なくとも個性的であると主張できるだろう」。
彼にとって個性とは、外見よりもなによりも、自分の心のなかの確信だったのでしょう。そしてその心のなかの確信が「告白」を書かせているのです。
しかし上の引用はこのように続きます。「そしてわたしがなにほどのものであるかは、私がこれから書くこの仕事をもって量るしかない」(英語訳から意訳)。
**心のなかの確信である個性を誰かに伝えるには、その人にしか作れないなにかを生み出すしかない。その人の外見をいくら見ていても駄目で、その人の生み出したものだけが、その人に成り代わって証言をする。**仕事という名前の署名。
タイムラインを次々と流れてゆくアイコンをみながら、私を私たらしめているものはなんだろうか? それを、どんな仕事で証すればいいのか。ふと考えたのでした。
今週のまとめ
今週はちょっとブログの執筆方法を昔に近づけて、曜日に固定した連載と、その時時のニュースとを織り交ぜる形式にしてみました。まだ始まったところですが、次第にその数も増えてゆくと思いますので、サイドバー付近を活用してあとでたどりやすくしておこうと思います。
Lifehacking.jpを普段読んでくださっている方も、読み方が次第に変わってきているだろうと思いますので、まとめておこうと思います。
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もう少しこの形式に慣れてくれば、もっと別の活動にも手を伸ばせるかと思いますが、まずは少しずつ、回転させていきます。
また来週まで。Happy Lifehacking!