与えることで与えられる。心臓移植を必要としているあいこちゃんの募金にご協力ください
今回はちょっとめずらしい記事になります。そしてそれを説明するためには、2年前に時間をさかのぼらなければいけません。
二年前、名古屋ライフハック研究会でお世話になっている @nijinochichi さんが Facebook シェアしてくださった記事がありました。
「心臓移植を必要としている女の子を助けてください」
写真を一目見て、私は心がとりこになってしまいました。そこには自分の娘とさほど歳が変わらないのに、先天的な心臓の病気と必死に闘う子供の姿があったからです。
私は即座に募金を行い、周囲の人にも呼びかけを行いました。「募金は、多少は自分が痛みを感じるくらいでなければば」そう思って、ちょっとあとで困るくらいいれた覚えがあります(笑)。
それから2年。意外なことにこの募金はむしろ私の心を支えてくれるようになりました。### 支援していた側が、勇気付けられる側に
そのとき募金を呼びかけたは広島県におすまいの「さほちゃん」のご両親と、その支援者たちでした。
多くの賛同者と、メディアの協力もあって、さほちゃんの心臓移植のための資金集めはすさまじい勢いで成功しました。
もちろんそれは始まりにすぎません。その後さほちゃんとご家族は渡米、ドナーが現れるのを待ち、大手術に備えます。大の大人であっても、心臓を移植するなどというのはとほうもない話です。ましてや小さな女の子。私たち支援者も祈りながらその日を待ちました。
そしてさほちゃんはこの大手術に耐え、その後の拒否反応を抑えるための治療にも、心臓の機能を調べるための過酷な検査にも耐えぬいて、ようやく退院、帰国することができました。
ときおり長い入院を必要とする病気を体験しつつも、元気に幼稚園に通う姿を、さほちゃんのお母様はときおりブログに書いてくださいます。
その頃からでした。支援していたはずの自分が、こうして元気にしているさほちゃんの短い近況を知るだけでむしろ力を与えられるようになったのは。
ちょっと仕事で疲れきってしまった時、心が折れそうな時、私はさほちゃんのママのブログを見に行きます。そして自分の家族のことを思い、守らなくてはいけないものについて気持ちを新たに奮い起こすのです。
与えるというのは、こうした不思議な作用があります。与えている側が、なぜか与えられる側になる。一周して、それは自分のもとに返ってくるのです。
もう一人の女の子を助けよう
先日、さほちゃんが手術をうけて2年という記事を読んでいたとき、たまたまFacebookで次にシェアされてきた記事がありました。
それは心臓の移植をうけなくてはならないもう一人の女の子、あいこちゃんについての記事です。
あいこちゃんは6歳のときに、劇症型心筋炎という病気を発症しました。心臓の筋肉が侵され炎症を起こし、本来の機能を果たせなくなる恐ろしい病気です。
現在は補助人工心臓で容体を安定させていますが、健康を取り戻すためには心臓の移植が必要になります。そして米国で移植を受けるためには、莫大な費用がかかるのです。そしてそのデポジットの期日は迫っています。
ここで読者のみなさんにお願いがあります。私もできる範囲で募金をしましたが、まだまだ多くの人の支援が必要となっています。そこで次の3つのどれか、できれば複数で、ご協力をお願いしたいのです。
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可能な範囲でけっこうです。募金にご協力ください。
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あいこちゃんを救う会のホームページを、Twitter、FacebookなどSNSで拡散してください。
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より効果的な情報の広がりを作るために、ブログ記事にしてください。
自発的に、見返りを求めずに何かを与えるということは尊いことです。しかしやはり与えると、なにかが与えられるのです。それを信じられるという人は、ぜひご協力ください。このブログを読んでいる人は、情報発信力の高い人々が多いはず。さあみなさん、出番ですよ。
アイスバケツチャレンジは加熱して過ぎ去ってしまいましたが、つぎはあいこちゃんチャレンジということで!