本当に好きなことを仕事にすること。Gavin Aung Thanさんの選択と喜び #WDS2014
World Domination Summitの基調講演には成功した起業家や有名人も登場しますが、人生において冒険をしている人もまた数多く登壇します。
Gavin Aung Thanさんは企業にとめるグラフィックデザイナーとして8年間活動していましたが、内面においては幸福とはいえませんでした。その仕事は彼から絵を描く喜びを根こそぎ奪いとってしまうものでしかなかったのです。
毎日、仕事場でボスがみていないときに、彼はWikipediaを開いて自分の人生よりも興味深い生涯を送った偉人や有名人のエントリーを読みふけりました。
そしてついにある日、なにかあてがあるわけでもなく、成功する保証もないのに、彼は仕事をやめてイラストレーターであり漫画家としての情熱を追求することに決めます。そのとき、Wikipediaを眺めてのサボり時間が活きてきたのでした。### 引用句と漫画
正確にいうと、Gavin さんにあてがまったくないわけではありませんでした。
オンラインのコミックは新聞に掲載されているようなものが扱えないきわどいネタを扱ったり、ソーシャルメディアを通した素早い拡散によってすでに何人かの有名な作家を輩出しています。私のお気に入りはこの人ですが、ええと、万人にはお勧めできません(笑)。
Gavin さんは自分もこうしたウェブコミックの領域に切り込むためにさまざまなリサーチと工夫をこらしました。そして、彼が Wikipedia で見ていたような偉人や有名人の引用句の魅力を、それにあわせた漫画によって引き出す Zen Pencils というサイトを立ち上げます。
Zen Pencils は有名な引用句と、それにあわせた背景のイラストで構成されています。偉人が生み出し、歴史がはぐくんだ名言や名引用句の魅力にただ乗りするブログやサイトが多い中で、Gavin さんの作品はそこに命を吹き込む作業を行います。
たとえばこちら、Playing the Game は私のお気に入りで何度も見返しているのですが、荘重な引用句の魅力が現代の子供の草野球のシーンによって理解しやすくなっています。
この最後の部分:
没頭するのだ、踏み込みたまえ少年らよ!
君らの望みがなんであれ
鼓動が踊るまで意思を奮い立たせ、
魂の底から大胆になるのだ。
騒がしいだけのなにかではなく、
君の決意を炎とみなぎらせ、
「成すか、成さざるか」の雄叫びとともに、
飛び込んでゆく、そのときこそ
君は勝負のただなかにある
この漲る高揚感が、さすがに韻を踏んだ詩をあまり読まなくなった現代では伝わりにくくなっているのを、Gavin さんのコミックは見事にとらえます。
こうしたオリジナリティが評価されて、Zen Pencils のコミックはワシントン・ポスト、ハッフィングトン・ポスト、Mashableなど、さまざまな媒体で紹介されるようになります。
Gavin さんは賭けに勝ったのです。
2つの質問
Gavin さんが仕事をやめるさいに参考にしたのが、まさに World Domination Summit の主催者であるクリス・ギレボーさんの本でした。そこに書いてあった質問を、彼は文字通りに、素直に自分にといかけたといいます。
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あなたが一生をかけて追求したいと考えている自分の才能はなにかあるか?
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そしてそれを通して、誰か他の人を助けたり、喜ばせることはできるか?
この2つの質問への答えが Yes なら(そしてたいていの人にとって Yes であることが多いのですが)、そこには追求すべきもう一つの人生があるのです。
World Domination Summit では、壇上であっても、ホールで他の参加者と話している際でも、「仕事をやめたんだ」という言葉は即座に「おめでとう!」という言葉で迎えられます。つまり「やめる」という言葉がたいてい後ろ向きな意味ではなく、何かやるべきことを追求するために勇気のある決断をしたという文脈で語られるのです。
だからといって、ここにいる人々が特に平均的な人々よりも勇気があるわけでも、欧米だから簡単に仕事が辞められるというわけでもありません。
欧米においても、敷かれたレールを守ることや、肩書的であったり経済的であったりする幻のハシゴを登ることを強いられている人は大勢います。そしてそれぞれが、何か小さな野心や計画をもってここに集まっているのです。
だからこそ、ここに集まった人は取りうるもう一つの人生や、可能性について考えさせられる Gavin さんのような人の講演を一言も逃さないように聞いています。
先に紹介したこちらのコミックは普及の名作Calvin and Hobbesの作者Bill Wattersonの言葉にあわせたものですが、背景はGavinさんの人生そのものになっています。
貪欲さと過剰さをもって「よい人生」としている社会においては、自分に喜びをもたらす仕事をしている人は反体制的な人か、せいぜいエキセントリックな人だと思われがちだ。
野心とはなにか幻想上の出世のハシゴを登るという意味でなければ理解してもらえないし、余暇に自分の趣味や興味を追求するために楽な仕事を選ぶ人は変人だとさえ思われる。そして家庭に残り、子供を育てるために仕事を辞める人は自分のポテンシャルを十分に活かしきれていないとまで言われる。まるで肩書と給料が人の価値のすべてだといわんばかりに。
きっとそういう人は何百もの間接的な、そして時として直接的な言葉で「もっと昇りたまえ」と促されることだろう。いまここにいて、いまやっていることが、まるで不十分だというように。自分を売り渡す方法はいくらでもある。きっと今にそうそそのかされることだろう。
自分の人生の意味を生み出すことは簡単ではない。でもそれは君に許された自由なのだ。そしてその面倒な道のりを踏みしめたなら、きっと「その価値はあった」とわかるだろう。
はてしてこのメッセージ、日本ではどう受け止められるでしょう? 日本では無理だという結論になるでしょうか? それとも同じような熱意で受け止められるでしょうか?
私はそれが知りたくて、毎年 WDS に行くのでもあります。
もしなにか感じるところがあれば、ぜひ Facebook グループでコメントいただけると参考になります。