人生の感動をそのまま再現してくれる「音の記憶」を求めて #耳福プロジェクト
たしかにあの瞬間、指揮者は振り向いたのでした。そして「さあ、いくよ。ついてこれるね?」といわんばかりにニヤリと聴衆を誘ったのです。
私の目はそれを見ました。耳はそれを聞きました。その体験は身体の奥底に眠っていました。しかし先日まで、私は忘れていたのです。
「音の記憶」がその体験を呼び覚ますまでは。
いつもお世話になっている松村太郎さん(@taromatsumura)のお誘いで、ゼンハイザージャパンの耳福プロジェクトに参加させていただいているのですが、この企画は通常の製品レビューとは異なり、エッセイ風に書いてよいということですので、ちょうどいいのでこれから3回にわたって、こうした「音の記憶」についての話題をご紹介したいと思います。
デジタルな時代にこそ、デジタル化できない記憶をどのように深掘りしてゆくのか。これは意外なほど大事な話題なのです。### ゼンハイザー Momentum 開封の儀
今回の「耳福プロジェクト」でレビューさせていただいたのはゼンハイザー Momentum という密閉型ヘッドフォンです。
カナル型のイヤホンがどうも苦手な私は耳を覆う形状のヘッドホンか、せめて耳を上から塞ぐ密閉型ヘッドホンだけで何個ももっているのですが、ふだんよく使うのはモニター用ヘッドホンとして有名なソニーのMDR-CD900ST です。しかしこの機種はモニター用のヘッドホンということで「音がそのまま聞こえる」というのか、いささか観賞用としては味気ないところがあります。
そこでゼンハイザーMomentum。箱もアップル製品のように隙のないつくりをしています。でも驚くのはここからです。
箱のなかにはウレタンに包まれた馬蹄形をしたスエードのケースが。ヘッドホンはさらにクロスに包まれて収められています。まるで繊細な楽器をしまっているようで、このケースがあるのに机の上にヘッドホンを放り出しておくのは申し訳ない気がしてきます(笑)。
本体は薄い金属板のスロットにパッド部分が固定されているレトロモダンなデザイン。ソファーのようにやわらかいイヤーパッドが特徴的で、高級感があります。
その指揮者はニヤリと笑った
さて、こちらのレビューをするためにひと通り気に入っている音楽を流して聞いてみました。仕事中に聴くことが多いエレクトロニック、移動中に聴くことが多いポップス、ポッドキャストや動画サイトなども巡ってみました。
そして最近、あまりじっくり聴く機会がないクラシック。
なんとはなしに選んだのは、サー・ロジャー・ノリントンとSWRシュトゥットガルト放送交響楽団によるベートーヴェン交響曲第5番「運命」です。
ベートーヴェン : 交響曲 第5番「運命」&第6番「田園」 (Ludwig Van Beethoven : Symphony No.5 & 6 : C minor op.67, F major op.68 ‘‘Pastorale’’ / Roger Norrington, Radio-Sinfonieorchester Stuttgart) [輸入盤]posted with amazlet at 13.11.29サー・ロジャー・ノリントン SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
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ノリントンといえば「ピリオド奏法」。歴史の流れでオーケストラの編成や演奏方法が変化してきたのを元に戻して、作曲がされた当時の解釈や演奏方法を(もちろん創造的に)再現するという手法です。
こうした視点から再解釈されたノリントン氏のベートーヴェンは特急列車のようなテンポ、ビブラートのない演奏方法など、賛否両論のある、とにかく個性的なパフォーマンスです。
実は私は十年以上も前に、ノリントン氏がSWRシュトゥットガルト放送交響楽団とともに来日された際、とある地方公演で彼の演奏を聴いたことがあります。
ヘッドホンをかけてCDをきいてみると、非常に空間のある音が響き渡ってその時のことを思い出させてくれます。Momentumの音質はまさにこの「空間」という言葉で表現できて、音の空間が頭一つ分広がったように豊かに聞こえるのが特徴です。それでいて音程は非常に正確ですので、くぐもる感じはありません。
椅子に身を任せて、目を閉じてみるとさらにその空間的な広がりが際立ちます。そうしてやってくるのはあのノリントン氏の、慣れてくるとやみつきになってしまう疾走感です。
そういえばあの地方公演では、直前になって演目がなぜか「田園」から「運命」に変更になったのでした。しかもノリントン氏はチャイナ服に身を包んでいて、見た目もおかしいのですが目もいたずらっ子のようにキラキラと輝かせながら指揮棒を振っていたのが思い出されます。
「ほう、ベートーヴェンか」というくらいの気持ちで、「ピリオド奏法」などといったことを一つも知らずに聞いていた当時の私は第一楽章からして、あの「ダダダダーン」からゆっくりと間をもたせるのかと思ったらそのままのテンポで疾走するオーケストラに度肝を抜かれたのでした。
「おいおい、速い、速い…!」
と私が脳裏でつぶやくあいだも、ジェットコースターが坂を下り始めたようなスリルに鼓動が早まります。
そしてあの第四楽章に入る瞬間、たしかにノリントン氏は指揮台の上から聴衆の方を振り向いて、確認するような一瞥とともにニヤリとあの笑顔を見せたのでした。「さあ、いくよ。ついてこれるね?」といわんばかりのあの笑顔を。
私はたしかにそれを見て、それに続く、あの後にも先にも聴いたことのない暴走列車のような第四楽章に包まれたのでした。
久しぶりに電車に揺られながらではなく、仕事をしながらでもなく、一切を忘れて、目を閉じて音楽を聴いてみると、その記憶が、「音の記憶」がよみがえってきたのでした。
記録しがたい「音の記憶」を意識する
書いてある文字は同じでもパソコンの画面の文字に比べて手書きのメモには温もりや表情があるように、音もまた音符の羅列ではなくて耳によって得られた体験・経験の折り重なりが、感動を生みます。
しかしこれは、本当に覚えておくのが難しいものでもあります。「あのコンサートにいった」ということは記録できます。ベートーヴェンの第5、という音符の羅列もYouTubeでいくらでも聴くことができます。
しかし初めてきいたオーケストラの感動や、大好きな一曲に出会って思わず身体が動き出す感覚や、人生の大切なときに繰り返しきいた音楽のもたらした精神的な高揚や憂鬱は、なかなか文字には写し取りづらく、それでいて私たちの人生の大切な記憶の一片なのです。
私たちにできることは、そうした記憶があったことをどこかに書き残しつつ、あとは傾聴することだけです。
もちろんここで私は、「『ながら聴き』では音楽を真に楽しんだことにならない!」などと聞いたふうなことをいうつもりはありません。
しかし何回も聴くうちに最初の感動が薄れ、経験の鮮やかさがしだいに忘れられてゆくのを引き止めるためにできるのは、少しだけ「聴く」という行為に前のめりになって、音がもたらす風景を脳裏のスクリーンに投影する時間をたまにもつことなのです。
今回のゼンハイザーMomentumのモニターをしているときにそうした記憶の蘇りがあって本当に幸運でした。Momentumの細かいレビューは次回にゆずるとして、まずはこうした記憶のよみがえりを探していろいろ聴いてみることにします。
みなさんの「音の記憶」はどの一曲に眠っていますか? 晩秋の一時、少しだけキーボードから手を離して、音に前のめりになってみる時間をもってみませんか?
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