久しぶりにブログの下書きを手で書いていると調子がよいと気づいた
子供が短期間入院していて、ドタバタとしているところです。
付き添っている間はそれほどやることがないのですが、パソコンやiPadなどの電子機器が使用不可ということですので、久しぶりにノートを持ち出してペンでブログや本の下書きをしてみました。
すると、これが予想以上に心地よい。すらすらと書けて、楽しくすらあります。
ポイントは「ゆっくり」
ふだんモレスキンに手でメモをとっているとはいえ、長文となると最近はなかなか書く機会がありません。学生時代に雑文ばかり何千枚も書き散らしたものですが、やはりブランクが長いと始めは指の関節や手首が痛くなってきます。
しかし、ここからがちょっと面白いのです。
手首が痛いのは早く書こうとして急ぎ過ぎていたりするせいだと気づいて一割ほどゆっくり書くようにすると、緊張がほぐれたのか書いていてもしだいに手が辛くなくなります
字が汚くて気になるのも、スピードをゆっくりにすれば整えて書く余裕が生まれました。
しかも、このスピードなら書いている最中に次の文章を考えることもできるようになってきます。
再度キーボードで下書きを打ちこむのはもちろん面倒なのですが、ここでもそのまま入力するのではなくて、リアルタイムで推敲が入ります。
キーボードだけで書くよりは時間がかかるものの、推敲のレベルと比べて考えればかかり過ぎているということもありません。
手書き、やはり楽しい!
手書きとキーボードだと文章は変わるか
すると気になるのは、果たして手書きとキーボードで文章の質は変わるかどうかというところ。
ノートに10ページほど一気に書いたところ、やはり少しだけ違うという気がします。私の場合、手で書く時はキーボードで書くよりも、漢字とひらがなの言葉のペースがうまれ、まろやかな文章になる傾向があります。
これは日本語入力システムが自動で行う変換から離れられるせいかもしれません。
一方で、やはり手が疲れるので無駄に長い文章や表現は避けます。つまり多少、読みやすくなるのです。
もちろん、これは私の場合なので一般論にするにはデータが足りません。
しかし、キーボードで書いた場合も通しで音読したり、余計な変換を戻してみたり、変換を統一したりすると文章にアナログ的な部分が戻ってきます。時間があるならいつでも心がけたいことなのですが、なかなか難しいですね。
最近は文章の多くをiPhone、しかも音声認識で下書きすることがあります。これも話し言葉と書き言葉の中間の、独特のぬるっとした文章が生まれますので、推敲の段階で引き締めることがあります。
キーボードであれ、音声認識であれ、手書きであれ、最終的に文章が読まれるのはたとえ液晶の上でも活字という形です。
それが読む側にとってどれだけ自然に音となり、概念となって、心の音楽となるのか。
そのアプローチの一つとして、キーボード全盛のこの時代でも、手書きの下書きの味わいはまたいいものだなと思ったのでした。