すべてのものはすばらしい:50年間屑鉄を集めてヘリコプターを作り続ける男の物語
Everything is Incredible from Tyler Bastian on Vimeo.
ホンジュラスの片田舎に、アグスティンは住んでいます。
ポリオのために重い障害を負いつつも、彼は1958年から50年以上にわたって小さなヘリコプターを作り続けています。
部品の多くはゴミ捨て場で拾ってきた鉄くずに過ぎません。鎖もまた手製です。シャフトは少し力を加えれば折れてしまいそうにみえます。
貧困と病を越え、どこかよりよい場所へと飛び立とうとしたアグスティンと彼のヘリコプターについての10分程度のショートムービー、“Everything is Incredible” は切なく、静かに感動的です。英語の字幕が多いのでかいつまんでご紹介したいと思います。
「ここからここまでを作るのに、20年かかった」
「正直なところ、みんなにとってこれはあざけりの対象でしかないんだ。なぜなら誰もが不可能だと思うだろうから。私は狂っているのだと」とアグスティンはいいます。
アグスティンのヘリコプターはたしかにヘリコプターの戯画としか言いようのないほど頼りなく見えます。ゴミくずを寄せ集め、針金の切れ端を曲げて作ったそれは、どうみても空を飛ぶようには思えません。
「彼は小さい頃、パイロットになりたかったんじゃないかな」近所の小さな女の子はいいます。「でも病気のためになれなかった。だからこれをつくって、『ほら、僕はヘリコプターをもっている。そして僕がパイロットだ』といいたかったんじゃないかしら」
アグスティンの手は障害でねじ曲がっています。昔は自転車に乗ることもでき、体を大きく揺らしながらも歩くことができましたが、いまでは車椅子に乗ることを余儀なくされています。
「彼のいうことといえば、ヘリコプターを作るためにお金をくれ。こればかりだ」と近所の神父はどこかあきらめたような顔つきで言い捨てます。「そしてあれはヘリコプターでさえない。あれが何なのか、神のみぞ知るだよ」
ヘリコプターの各部分は作るのに何年もかかっています。「ここから、ここまでは20年かかった」とアグスティンは指さします。多少の鉄骨を店で買った以外は、すべて材料はゴミ捨て場から拾ってきたもので作られています。
周囲の人々は彼が靴職人だった昔から知っています。ある人は裸足でいたときにアグスティンに靴をもらった思い出について語ります。
しかしアグスティンの言葉からは、多くの絶望を乗り越えてきた痕跡もうかがえます。「私の兄弟はアル中だった。そして理由もなく死んだ。かれは酔って道で叫んだものだ。『俺は狂っていない。俺は酔いどれだ。狂っているのはあいつだ。棒を寄せ集めてヘリコプターを作って飛ばそうだなんて』」
「すべてのものはすばらしい。それにみんな気づいていない」
あるとき、アメリカから新しい車椅子が届いたことがあったと近所の少年は回想します。「でも彼は新しい方を分解して、ヘリコプターの材料にしてしまったんだ。なぜ古い方を使わなかったのかとみんなが聞いたら、新しい車椅子の方がヘリコプターのよい部品になるからといったよ」
彼に靴をもらった青年はアグスティンのヘリコプターは「忍耐」そのものだといいます。「彼は狂人ではないよ。みただろう? あれだけのものを入念にくみ上げて、どこがどのように動くかちゃんと考えている。あれは、忍耐そのものなんだ」
しかしアグスティンのヘリコプターがきっと飛ぶことはないと悲しげに彼を見つめる人も多くいます。「もう50年もこれにつぎ込んで。いったい何になったというのだろう」
神父はあきらめ顔でいいます。「彼が死んだら、ここの墓地に埋めることになるだろう。彼にも異論はないはずだ。ヘリコプターは埋めない。…私たちの墓地に、ヘリコプターの場所はない」
アグスティン自身はもうこのヘリコプターを作っているのか、このヘリコプターが彼自身なのか、よくわからないような表情でこういいます。「問題は、すべてのものがすばらしいのに、人はそれを受け入れないことなんだ」
「私には最終的なデザインが見えている。そしてこれをいつか道路に出した日には、空に浮かぶことだろう」
近所の子供も、目を輝かせていいます。「飛ぶかって? ああ、飛ぶと思うよ」「だって、どこからみても普通のヘリコプターだもの!」
しかし神父は理解しがたいという表情でいいます。「いったい彼がどれほどこのヘリコプターに捧げたのか見当もつかない。それで彼が何を得たというのだろう? あるいは生きる希望だったのかもしれない。あるいは孤独や、貧困をやりすごすためのものだったのかもしれない。私にはわからないよ」
何をもって「有意義」とするのだろう
ある人にはこれはただのゴミの山にしかみえないでしょう。貧しい老人の妄想の産物だと切り捨てる人もいるかもしれません。
ある人は「飛ばないからといって、これはすばらしいアートじゃないか」とコメントを寄せていますが、苦労してゴミを寄せ集めたからといってそれが自動的にアートになるという話でもない気がします。
しかしアグスティンがこのヘリコプターが「飛ぶ」と強い信念をもって作っている姿にこそ、侵すべからざる純粋な何かを感じます。
私たちはいろいろな計画をたて、様々に有用なことをしているつもりですが、それとて結局はむだに終わるものがあまりに多いのが現実です。誰がアグスティンのヘリコプターを笑うことができるでしょう。しかし彼が言うとおり、「すべてのものはすばらしい」のです。
そしてきっとこのヘリコプターが現実に飛ぶことはないだろうと見た目にもわかるからこそ、その姿は哀しく、同時にどこか力強くもあります。
それともこのヘリコプターはすでに飛んでいるのでしょうか。もう50年もの歳月、アグスティンとともに飛び続けているのでしょうか。
気になる方は、ぜひショートムービーをご覧になってください。
(アグスティンの生活を支援し、彼の死後にこのヘリコプターを保護すること、ならびにアグスティンを一度本物のヘリに乗せるためのクラウドファンディングがあります。それが本当にいいことなのか、まったく私にはわからないのですが…)
(via Laughing Squid)