「パブリック」世界を動かす新しい力学についての必読書

Public parts

なぜ私たちはツイッターで会ったこともない人と会話するのでしょう? あるいはFacebookでそこにはいない知人と場所を共有しているかのように会話をしているのは不自然ではないのでしょうか?

Amazonのレビューや、Yahoo知恵袋といった場所に書き込まれる意見が友人のそれのように重みを増してはいないでしょうか? そもそもあなたはこのブログに、どうやってたどり着きましたか?

これらの疑問の根底には、なにが「パブリック = 公共」の情報で、何がプライベートなものなのか?というものがあります。そして今、「パブリック」の力は急速に増大して世界全体の動きから、私たちの日常まで変えつつあるのです。

そんな新しい世界の力学についてかかれた本、「パブリック 」(原題:Public Parts)が刊行されました。著者はブログ Buzzmachine の著者で City University of New York の教授、そして毎週楽しみに見ている This week in Google のレギュラーでもあるジェフ・ジャービスです。

ジェフは、デル・コンピュータのサポートについてブログで公開して大反響を生み出したり、自身の前立腺がんについてもオープンに語ることで同じ病気の人々の間での情報交換を促したりといった活動でもしられる、「パブリック」の擁護者です。

しかしだからといって Facebook ですべての情報をパブリックにすればよいわけではありません。「パブリックな部分」と「プライベートな部分」が厳然として相補的に存在していていることをジェフは説いたうえで、これまでは限られた情報へのアクセスが力をもっていたのに対して、今はパブリックな情報を制したものが力をもつという構造について紹介していきます。

ウィキリークスやアノニマスといった存在から、中東に広がった革命の嵐。そしてミクロなスケールだと、私たちの書くブログやツイッターが作り出す新しい人間関係に至るまで、気づけばパブリックの力学は世界のすみずみまで広がっているのです。

その意味でも、本書を読むことで私たちは世界を動かしている新しい力学についてより深く知ることができます。

なぜ企業や個人がパブリックになることにメリットがあるのか? これまでパブリックではなかった分野・産業・個人がパブリックになることで何が変わるか? プライバシーの概念はどう修正されるのか? そもそも、プライバシーなんてもう必要なのか?

知らなくても生きていくことはできるでしょうけれども、知ることで世界をより深く理解できる、そんな本です。

一方で、ジェフの見方はあまりにオープンなウェブの側に立ちすぎているという批判も頭の片隅に留めながら読むとさらに面白いでしょう。パブリックが強まったとはいえ、いまでもそれとは別の場所で世界が動いたり、一見パブリックに見せかけた欺瞞が横行している現実もあります。

ジェフにもし会えるなら、私は聞いてみたいと思います。

グーテンベルグの活字が情報を大衆にむけて開放したように、私たちのつぶやきや共有は「ソーシャルな活字」としてパブリックな世界を形作っています。でも活字それ自体が自由でないように、私たちも自分たちが物語の書き手だと思っていたら実は違ったということはないのでしょうか?

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。