ゾンビのキュリー夫人が教えてくれた「真の偉大さ」について
愛すべき棒人間コミックの xkcd が、また素晴らしい題材を扱ってくれていました。
努力すればマリ・キュリーほどの女性科学者になれるだろうかと夢想している少女のもとに、ゾンビになったマリ・キュリー本人がやってくるという話ですが「真に偉大になるためにすべきこと」を教えてくれています。
英語がちょっと読みにくいと思いましたのでざっと翻訳しておきました。
少女「先生はいつも言ってたわ。私がちゃんと努力したら、次のマリ・キュリーになれるって」
ゾンビ「もう、私ばかり見るのはよしてほしいものね」
少女「ゾンビのマリ・キュリーさん!」
もうこのあたりでいろいろ可笑しいのですが、この先がいい。
ゾンビ「私にその資格がないとかそういうわけじゃないのよ。あの二つのノーベル賞は飾りじゃないんだからね。でも私を女性科学者のロールモデルとしてばかりみていたのではダメよ」
ゾンビ「リーゼ・マイトナーは同僚のオットーがデータをみて混乱しているのをよそに核分裂の理論にたどり着いて、その過程でエンリコ・フェルミの理論を破ったわ。オットーとエンリコはノーベル賞をもらったけれども、リーゼがもらったのはせいぜいウーマン・オブ・ザ・イヤーくらいのもの。彼女の名前を冠した元素が登場したのは60年もたってからよ」
リーゼ・マイトナーがなぜノーベル賞を受賞できなかったのかには諸説ありますし、彼女はウーマン・オブ・ザ・イヤー以外にも多くの受賞経験がありますのでこれは言い過ぎかもしれませんが、ノーベル賞に値する科学者であったというのは多くの人が認めるところですね。
ゾンビ「エミー・ネーターはビクトリア朝時代の教養学校の学歴からスタートして、聴講生として数学を学び、ついに博士号をとっても、無給の講師としてしか教壇に立つことはできなかったわ。しかも多くの場合、男性の同僚の名前のもとに代理でね」
少女「彼女はその同僚くらいには優秀だったの?」
ゾンビ「彼女は抽象代数学に革命をもたらし、相対論が当時もっていたギャップを埋めて、多くの人が理論物理学で最も美しいと認める定理を発見したわ」 少女「あら…」
ここで言及されているのは、「系に連続的な対称性があればそれに対応する保存則が存在する」というネーターの定理のことです。説明するのは難しいのですが、この定理から運動量やエネルギーの保存則を導くことも可能な、深遠な定理です。
この二人の例から、ゾンビのマリ・キュリーは一つの教訓を導きます。
ゾンビ「人は偉大になろうと思って偉大になるのではないわ。何かをやり遂げたいと願い、がむしゃらに取り組んでいるうちに、その過程で偉大になるのよ」
ほんとうにその通りです。成功や偉大さは、ともすれば結果として残った歴史からしか評価できませんが、歴史がすべてを説明してくれないことは周知の事実です。語りつくされない偉大さや、取りこぼされた成功譚がいくらだってありふれているのですから。
このことに希望を感じたり、謙虚になるべきなのでしょう。「マリ・キュリーのように、ではなく、自分の情熱に従えたか」という尺度で自分を測れるように。いや、ゾンビなんですけどね。
ゾンビ「だから次の私や、ネーターやマイトナーになろうなんて思わないで。ただ、この道に進みたいなら、あなたは独りじゃないわ」
少女「ありがとう」
ゾンビ「あとラジウムに気をつけなさいね。死ぬわよ」
少女「注意するわ」
ラジウムに注意していればなんでもできる気がしてきました。