「計画それ自体に価値はないが、立案はすべてに勝る」
すべての予期できないものごとについて、私たちはあらかじめ計画を立てます。自分の将来の仕事や収入、健康などについて、あたかも未来を先取りするように。
でも多くの場合、描いていた未来とは違うできごとが起こり、計画通りに事は進まないことの方が普通です。それなら、計画などというものはそもそもあってないようなものなのだろうか? と疑問に思う人もいるかもしれません。そんな意見に対する、アイゼンハワー大統領の含蓄深い言葉に最近出会ってなるほどと思うことがありました。
スピーチの一部であるその一節を引用します。
I tell this story to illustrate the truth of the statement I heard long ago in the Army: Plans are worthless, but planning is everything. There is a very great distinction because when you are planning for an emergency you must start with this one thing: the very definition of “emergency” is that it is unexpected, therefore it is not going to happen the way you are planning.
…私はこのお話をすることで陸軍で遠い昔に聞いた一つの意見が真実であることを説明したいと思います。すなわち「計画それ自体に価値はないが、立案はすべてに勝る」という点です。この2つには大きな違いがあります。というのも、何か非常事態について計画を立案をしているなら、そもそもこの「非常事態」は予期せざるものであり、成立した計画通りには事は進まないからです。
出来上がった「計画」それ自体は、いざ対応を迫られる非常事態や試練を前にして無意味になりますが、何らかの危機を想定して行われた「立案」の思考過程は必ず役に立つというわけです。
たとえば ToDo リスト一枚をとっても常に割り込みや優先順位の見直しが迫られるもので、なかなか作成したとおりに上からロボットのようにタスクを進められることはありませんが、だからといってリストの一つもなしには途方にくれてしまうでしょう。
あるいは「人生の目標」なるものがいつまでも実現しないと思って嘆く人もいるかもしれません。しかし目標も、目指すべき灯台のような明かりもなく進む人は常に「低きに流れる」危険を侵します。
結果だけをみていたら失敗でも、その人が困難に立ち向かった姿勢がその人を強めて、次のチャンスを生み出すことだって普通にあることでしょう。でもそれは失敗した計画からはなかなか明らかにならないのです。
アイゼンハワー大統領というと、アメリカの高校で学んだ時には散々な評価だったのですが、やはり戦争の軍司令官の抱く「計画」とその遂行には独特の哲学がにじみ出ていますね。