不安な気持ちは手帳に受け止めてもらう
被災された地域にいる人にとっても、その周辺に住んでいる人にとっても不安な時間が続いています。
不安というのは不確定な未来に対する当然の反応ですが、不安の元になった地震にあたることもできないので政府や関係者にひたすら無軌道に怒りをふりむけたり、急に無気力や自暴自棄になったりと、ツイッターのタイムラインを無作為にみていてもちょっと心配な人をときおりみかけます。
私の職場でも、本来なら科学的なデータの読み方を熟知しているはずの科学者が放射線量の数値の単位を読み間違えてパニックになっていたという出来事があって、すべての人にとって今も「普通ではない時間」が流れていることを感じずにはいられません。
不確定な未来を手帳に書き込む
しかし残念ながら、今後事態がどのように推移するのか、どのように収束するのか、それは予測できないように思われます。そして「予測できない」からこそ、それを断定しようとしたり、無理に推測しようとするところに不安やデマが生じる温床がうまれます。
こんなときは、いま感じている不安をそのままに手帳などの個人的な空間に書き込むことで、いくばくかの心の落ち着きを取り戻すことができます。そう、モレスキンに不安なきもちをそのまま受け止めてもらうわけです。
文字で書き込むことを得意としている人は、いま不安に思っていること、明らかになってくれるといいなと思っていることをそのままに書いてみるとよいでしょう。その多くがそれほど心配する必要がなかったり、当面 Next Action が存在しないということに気づくことになるかもしれません。
もし文字を書き込むことさえできないなら、ひたすらに写真を貼り付けてゆくというだけでもいいでしょう。
私はここ一週間の手帳には家族の写真をひたすら貼りつけると同時に、ニュースで手に入れた災害の写真などを貼りつけています。どんな言葉でも表現できないことを、一枚の写真が語ってくれることに期待して。
いま起こっている出来事以外にも、そもそも私たちは自分が認めるよりも多くの心配事を常に抱えているものです。この際、そのすべてを紙のうえに写しとってみてもいいはずです。
そして数年後、この不安で予測のできなかった時間を振り返ったときに、少なくとも自分がなにを不安に思っていたのか、それが手帳の上から見えてくるといいなと思います。そしてその多くは、きっと乗り越えられているはずです。
心配しなくても、未来はなんらかの結末を用意してくれています。いまはそれがどういうものかわからないので、少し不安なだけです。その不安なときを、手帳とともに過ごすのも悪くはないでしょう。