人生の目標を決める2つのアプローチ
The Art of Non-Conformity で「人生の目標をもつことは必要?」という記事がのっていて、面白い読者のコメントが紹介されています。
Most people would think it ridiculous to walk into an airport with a wad of cash, hand it over to the ticket agent and say, “Send me someplace.” Goals are simply chosen destinations that we’ve decided are worth the trip. Without them, somebody else may be deciding on the itinerary for us.
札束をもって空港に行き、チケットカウンターで「どこかに私をつれていって」というのがおかしいのと同じくらい、目標をもたないというのはおかしいこと。目標とは私たちが選んだ目的地で、それなしには誰か他人が私たちの旅程表を勝手に描いてしまうことでしょう。
「目標をもつよりも、今を生きるほうがよい」という意見も散見されるのですが、実はよくみているとこちらの意見も無軌道に「今」を生きるのではなく、大きな航路の行き先は選んでいるという人が多いようです。
一見、相対するかのような2つのアプローチをみてみましょう。
アプローチ1:遠い旅路の終着点
ふつう「人生の目標」というとこちらでしょう。なにか実現したいこと、到達したい場所を考えて、それが実現するように中目標、小目標へとブレイクダウンをします。
ただ問題は、1) 大きな目標が中・小目標に還元できるとは限らないという点と、2) 目標を達成できたかどうかがシビアに判断されるという点です。
そこでふだんはもうひとつのアプローチを援用することになります。
アプローチ2:この道の先に、目的地はある
最終的な目標を実現するためのステップがみえない場合でも、方向性をきめて行動を選択することはできます。
たとえば将来小説家になりたいという人がどんなプロセスでその夢を実現するかは一意に定まりませんが、少なくともどんな本を読むか、どれだけ執筆に時間をあてるか、という具合に現在の行動を長期的な目標にむかっているとおぼしき方向にあわせることはできます。これを私は「航路を選ぶ」などと言ったりします。
「目標なんていらない、今を楽しもう」という人も、多くの場合はこの2番目のアプローチを採用していて、自分に必要なものと必要でないものはちゃんと見分けられていることが多いですよね。
逆にこれは、人生の使命や目標をもちたいという場合に「どうもこれは違う」という行動を一つ一つダイエットしていくことでもアプローチしていけるということでもあります。
みるテレビ番組を選ぶ。読む本を選ぶ。使う言葉を選ぶ。買うものを選ぶ。時間の使い方を、誰と会うかを、何をして過ごすかを選ぶ。
そうした一つ一つの選びとりが、最終的にはアプローチ1に近づいてゆくのです。
この話、まだまだ奥が深いので何度か立ち戻って考えてみることにしましょう。