[Lifehack Begin] 第8の習慣:自分を変えるために言葉を変える

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学生時代の私は、当時のことを知っている人の誰もが証言すると思いますが今よりもずっと短気で扱いにくい人間でした。

他人の小さな間違いをとがめたり、細かいことで怒りを爆発させることは毎日のようで、周囲の人にもいろいろと迷惑をかけたことだと思います。振り返ってみると、自信の欠如の裏返したものだったというのがわかるのですが、当時の自分はそういう振る舞いをすることが当然だと思っていました。

多少なりともそれが変化するきっかけを与えてくれたのが、いつもどおり愚痴をこぼしている私に対して同僚が振り返りもせずに一言、「うるさいよ」といった言葉でした。

繰り返しになりますが、自分としては怒ったり愚痴をいうのが当然と思っていたところに飛んできた「うるさい」という言葉は、まるで冷水で目が覚めるような効果がありました。「そうか、自分はうるさいのか…」突然はっきりと目の前の迷路が消え失せたように、素直に納得することができたのでした。

言葉を変える

それでも長い間に身についた怒りっぽい身のこなし方はすぐには変えることができませんでした。そこで考えついたのが、使う言葉を選び取るという方法でした。

たとえば自分のことを「俺」ではなく「僕」と言うように変えたのがその一つです。「俺」という言葉が悪いということではなくて、あくまで自分の場合「俺」で始まる喋り方はどうしても粗野に流れがちだったのでルールとして変えてみたのです。

語尾を「です・ます」にしたり、特定の言葉の使用を禁じたりといったこともしましたが、一番わかりやすかったのは本の中の人物の喋り方をなぞらえるようにすることで、そのキャラクターを「憑依」させる方法でした。

この方法の効果はめざましいものがありました。言葉を変化させることで怒りっぽかったり、グチっぽかった話題の選び方が次第に変化したのは当然ですが、選んでいる言葉が自分自身の心理にもフィードバックして、実際に怒ることが少なくなったのです。

聖書の言葉に、良い木と悪い木はそのつける実で見分けるように、良い人と悪い人はその口から出る言葉で見分けられるというものがあります。「言葉を選ぶ」習慣は、いわば「悪い木」だった自分に「良い木」を接木して我がものにしてしまったようなものでした。

3ヶ月の挨拶が生み出した他人への変化

こうした変化は自分自身だけでなく、周囲の人にも変化を及ぼしました。そのころ私の近くにはなかなか話しづらい、どうしても敵対してしまう人がいたのですが、その人にも「必ず挨拶をする」ということを心情などとは関係なく、ただのゲームとして取り入れてみました。

最初は挨拶をしても無視をされるだけです。こちらも少し腹が立ちますが、あくまでゲームだとおもってそれを続けてみます。それほど会う頻度は高くないので1ヶ月、2ヶ月、そして3ヶ月とその「ゲーム」を続けていると次第に、相手にも変化が生まれてくるのに気が付きました。

最初は目で「なんだこいつ」と見返されていたのが、次第に挨拶をされると目を伏せるようになってきます。次には、声は聞こえないのですが、唇がなにか挨拶のようなものをつぶやいているように動いているのが見えます。そして3ヶ月がたつ頃には、まだどこかぎごちなさが残るのですが、はっきりとお互いが「こんにちは」といえるようになっていたのでした。

一つずつ、言葉を変えてみよう

自分を変える、というのは言うのは楽ですが実際には非常に難しいことです。しかし言葉を変えるのなら、ふだんの生活のなかでゲームのようにして実践してみることができます。

このように「ゲームのように実践できる小さなこと」が繰り返し実行することで性格や人生観にもいずれ波及していくのはまさに本来の意味での「ライフハック」だなあ、と思います。

Lifehack Begin 第2週はこうしたマインドセットに関連するものを選んでご紹介したいと思います。

それでは次回まで。

Happy Lifehacking!

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。