人は飴と鞭だけで動かない。プラットフォームを与えよう

人を動かし、一定のゴールを達成するのは難しいタスクです。あるところまでは叱咤して、「〜しなさい、さもなくば」と脅して結果を得ることもできるかもしれません。あるいは「一番になった人にこの賞をあげよう」と恩賞でつることもできるかもしれません。

でも最終的にはどちらもスケールせず、上にたっている人の声の大きさ、賞にありつける確率、例えるなら組織の通気の良さで天井にぶつかってしまいます。

Seth Godin のブログで、こうした考え方ではなく、プラットフォームを与えることで組織を開放してはどうかという記事がありました。

Both the first message (the bully with the heart of gold) and the second (creating scarce prizes) are based on a factory model, one of scarcity. It’s my factory, my basketball, my gallery and I’m going to manipulate whatever I need to do to get the results I need. If there’s only room for one winner, it seems these approaches make sense.

最初のメッセージ(心を鬼にして叱咤する)も2番目のメッセージ(少数しか受け取れない恩賞をつくる)も、どちらも工場モデル、つまりはリソースは限られているという考え方から来ている。俺の工場なんだから、俺のバスケチームなんだから、俺のギャラリーなんだから、結果を得るためにはどんな具合にその構成員を操作してもいいんだというアプローチで、勝者が一人しかいないと考えているうちは理屈に合っているようにみえる。

The third method, the one that I prefer, is to open the door. Give people a platform, not a ceiling. Set expectations, not to manipulate but to encourage. And then get out of the way, helping when asked but not yelling from the back of the bus.

しかし3番目の方法、私が好む方法は人々に向かって扉を開けることだ。天井ではなくてプラットフォームを与え、クリアすべき期待値を示して励ますのであって、操作するのではない。そうしておいて、あとは邪魔をしないように横にどくのだ。助けを求められたら答え、後ろから怒鳴りつけることはしない。

このプラットフォームというのは、組織であれば何にあたるのでしょうか? 潤沢な予算でしょうか? 活用できる設備や資源でしょうか? そのどちらも限られているなら、どうすればいいのでしょう。

予算も資源も限られている中で最後にリーダーが与えることができるのは、創造的な仕事ができる裁量権なのではないかと思います。Google の 20% ルールも、そのような仕組みを数的に表現したものなのでしょう。

これはもちろん言うは易く行なうは難しで、創造性にはすぐには値札が付きませんので大きな勇気を伴います。しかしこの最後の自由がなければ組織の生産性は単なる時間・資源・人的リソースのどれが最初に消耗して消えるかという減衰関数になるのかもしれません。

チームがどんなプラットフォームで戦っているか? 戦う一人の研究者として私も考えなくてはいけないことですね。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。