「完璧」は「十分に良い」の敵
“Le mieux est l’ennemi du bien.” - Voltaire
今週も例によって Macbreak Weekly を聞いていたら、非常にすばらしい機能をもった iPhone アプリを制作している人の話題が出てきました。
その iPhone アプリは一つのキラーフィーチャーをもっていて、ぜひとも欲しいと思わせるものだったのだそうですが、なぜか公開はしていません。
作者になぜリリースしないのか尋ねてみると、「ずっと気になっている機能があって、それを実装するまでは出したくないんだ」というのが答えだったそうです。
そこで冒頭の、「『完璧』は『十分によい』の敵」というヴォルテールの引用句となったのでした。
不完全でもいいから、コアコンピテンスとなる一つの機能があるならリリースしてしまって、バージョン 2.0 で気になっていることに対応すればいいじゃないか! というわけです。
なぜ「完璧」が敵なのかというと、「完璧」という場所はまるでアキレスと亀の背理のようにいつまでたっても漸近するばかりで到達できない場所だからです。
しかしこれは言うは易し、行うは難しというやつで、私たちはどうしても「中途半端は嫌だ」と思うものですのでいつまでも自分にとって大事なものを手直ししたり、もっと良くしたいと思うものです。
またブログなんて書いていると特にそうですが、中途半端なものを世に出したときに「怒られたり、笑われたりするのではないか」という思いもいつもつきまといます。
目安はどこにおけばいいのでしょう?
答えは私にはわかりませんが、一つ言えるのは、手直しばかりしていて、リリースすることやブログの『投稿』ボタンを押すことをためらっていたからといって、いつか花が咲くように「いまだよ! いまやれば OK だよ!」という確信がやってくるわけではないということです。
確信がなくても、「十分なんじゃないかな?」と少しでも思っているなら、アクションを起こして、行動を持って確信に置き換えることが、あとで何があったとしても「これでよかった」という承認を感じられるようになるためのコツのような気がします。
リリース前のアプリでもいいですし、投稿前のブログ記事でも、書きかけで放り出している小説でもいいです。押さずに放置している「アクション」のボタンはないですか?