アテンション・バランスの罠とそれを逃れる方法
Put Things Off and Stop Caring to Realize Your Dreams | Zen Habits
さあ、夢をかなえるための一歩を踏み出そう。
でも、まずは机が整理整頓できていないから、片付けることから始めなければ。整理がすんでみると、今度はそもそも次の一歩を作り出すための勉強が不十分だったと思い始めて本屋にいかないといけないと思う。
でもそうしているうちに、なんだか自分の夢が漠然としている気がしてきたので、マインドマップでもやってそれをはっきりさせなければという気がしてくる。そこで今度はマインドマップ用の紙とペンを買ってくる…。
端からみているとなんだかコメディのように見えますが、「一番やらなくてはいけない大事なタスク」の周囲を、円を描くように回転しているだけという、こんな罠に陥っていることがないでしょうか? わたしは心配性なので、こうしたことがしょっちゅうあります。
Zen Habits の Leo が「過剰な Caring」が行動力を奪ってしまうことについて上の記事で書いていて、大事なタスクに踏み出すときのオーバー・プランニングの危険について書いていました。たとえば:
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夢を実現するための次の一歩よりも、「完璧なプラン」ができないのでいつまでもどうでもいい細部が気に掛かって足踏みをしている
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95 点がとれるところまで勉強するのに5時間がかかるとして、それを 100 点にするにはさらに 10 時間がかかったりするものですが、それが時間の投資に見合っているのか考えずにむやみに時間を注ぎ込んでしまう
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最新の情報がそろっていることに執着するあまり、自分のアウトプットをなかなかできない
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周囲の人がなんと思うかが気になるあまりに、自分がどのようにしたいかから発想がずれてゆく
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「〜なったらどうしよう」「〜のようになるのではないか?」と未来のことばかり気になって次の一歩が踏み出せない
こうしたケースはよく「意気地がない」とか「フォーカスがとれていない」といった言葉で表現されますが、Leo は含蓄深いことにこれを「アテンションが本来あるべきバランスにない」といった表現をしています。不必要な心配や不必要な情報収集にあまりにアテンションが割かれているので、本来やるべきことがおろそかになってしまっているというのです。
たとえでいいますと、絵を描きたい! という気持ち(長期的思考)が、全ての色の絵の具が揃っているのかどうか心配だ!(短期的心配)によって相殺されている状態といったらわかりやすいでしょうか。つまりは、本来アテンションを割くべき場所に、どうでもよい細かい心配が居座っているのです。
しかし短期的心配も「長期的なタスクの実現にとって前提条件かもしれないよ?」という顔をして近づきますので、なかなか防ぐのは難しいものがあります。
そこでこうした罠を逃れるために Leo は「細かい部分の心配事を『先送り』することを覚えよう」ということを書いています。
絵を描くと行った行為でも、なにか事業を開始する場合でも、いったん初めてみれば気にしなければいけない細かいことはどうしても常に発生してきます。だからこそ「プランが 80% できた時点で、見込みで始めてしまう」ことをして、残り 20% の細かい部分は後回しにしておくようにしようというわけです。
机が整理できていない? でもまず始めに勉強してから、あとから整理するのでもいいではないか。情報が足りない? とりあえず始めて見て、あとからそぐわないところは修正すればいいではないか。というわけです。
たとえば小説が書きたいなら、漢字の勉強や文章の勉強をするよりも、まずは書いてみるのが最も速い上達法です。たりない部分はあとでいくらでも発見できますが、実は漢字や表現といった部分は推敲段階でそれなりに修正できたりします。でも大まかな骨格だけは、当然のことながら書かないことには書き上がりません。
いま、いろんな大きな仕事を始めているところなのですが、どうしても「この仕事はどのくらいの確率で成功するだろうか?」という気持ちが入ってきてしまい、身がすくみそうになったりします。そうしたとき、この 80% の思考をいつも忘れないようにしたいと思っています。
見切り発車でいいから、次に何を実行する?