不可能を可能にする一言: "Yes, we can"
政治については二度と書かないとお約束しますが、このことだけは書かなければと思いました。ここ一日、私はアメリカ大統領選挙の結果について考えながら、心を大きく揺れ動かされていました。
当選したオバマ氏は私の地元シカゴの議員ということもありますし、海外で生活した経験のある生い立ちに親近感を抱いていたということもあったので応援していたのですが、それにしても当選が決まった瞬間にわき起こった深い感情は、そうした親近感では説明のできないものだったのです。
そして、引き続き見ていた NBC のテレビインタビューのなかで、かつての公民権運動に参加していた黒人議員のコメントを聞いたときに、その感情の意味が理解できました。
番組のコメンテーターは議員にこう質問していました。「教えてください、議員。かつてあなたが差別の撤廃を訴えて道を練り歩いていたころ、あなたはこんな日が来るということを一瞬でも想像しましたか? 生きている間に黒人大統領を見れると、希望をもっていましたか?」
それに対する議員の答えは厳粛なものでした。「いいや、どんな馬鹿げた夢の中であれ、そんなことは一度も考えたことがなかった。私たちは日々の差別をなんとかしようと考えていただけで、そんなことはイメージしたことはなかった。不可能だと思っていたよ」
不可能。そう、いま目にしているものは、今までの常識を越えた、昨日までは「不可能」だったことだったんだと納得がいった瞬間、自分が感じていたのは「畏怖」であり「希望」なんだということが納得できました。議員は続けました。
「キング牧師が生きていたら、なんと言っただろう。神様は、ときどき私たちの想像を遥かに越える恩恵を施してくださるのだと、そういったかもしれないね」
昨日までの「不可能」を打ち破る
オバマ氏の掲げた施策に賛成するにせよ、反対するにせよ、「黒人は大統領になれない」という昨日までの常識が塗り変わってしまったという象徴的な意味は、アメリカ一国をはるかに越える意味があると私は考えています。
それは「不可能」を打破する力が私たちにあるということを、その力を信じてもいいのだとというメッセージを、全世界に伝えたのではないでしょうか?
「こんなことは不可能だ」「どうせこうなるに決まっている」「どうにもならない」「現実は変えられない」こうした言葉を口に出す前に、**「いや、まてよ。それは昨日までの『不可能』だ。明日はわからないぞ…!」**と口にする人が少しでも増えるなら、世界は少しだけでも良い場所になるのではないかと、私にはそう思えるのです。
そのメッセージは、オバマ氏が当選後に行ったスピーチの中でも触れられています。ジョージア州で投票した 106 歳の黒人女性に言及して彼は演説で次のように述べています。
And tonight, I think about all that she’s seen throughout her century in America – the heartache and the hope; the struggle and the progress; the times we were told that we can’t, and the people who pressed on with that American creed: Yes we can.
今日私は、彼女が一世紀の人生を通して目撃した痛みと希望、争いと進歩について考えている。「だめだ」と拒否されながらも、一つの信念をもって求め続けてきた人々の声を。「Yes, we can(私たちには出来る)」
「言葉だけでは何も変わらないよ」と言われるかもしれませんが、私はそれでもなお「いや、できる」と根拠もなく口にしてから、可能性を探せるようになりたいと、この演説をきいて思うようになりました。
政治信念は別にして、なるべく多くの人がこの同じ言葉を信じてくれることを願ってやみません。困難や絶望が間近に迫っているときにこそ、この一言が「不可能」を「可能」にするかもしれないのです。
「Yes, we can」