小さな、静かなる持続の力
なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか? | Design IT! s/LOVE 質より量に学ぶ | Radium Software Quantity Always Trumps Quality | Coding Horror
いつも楽しみに読んでいる Design IT! w/LOVE で、「質より量」の話題に言及がされていました。ぜひリンク先の話題を読んでいただきたいのですが、かいつまんで書くと次のような話です。
陶芸のクラスで、クラスを二つに分けて、作品の「質」と「量」で評価をしたところ、「量」をこなした方には「質」も付いてくるようになったというのです。このことは、理論立てて考えるよりも先にやってしまう方が早い、また失敗から多くを学べるということを示していると思えます。
また、これが陶芸のというのも注目に値します。陶芸などの芸術は「無駄の排除」あるいは「デザインの欠如」がかえって完成度を増すことが多いですので、数をこなすことはクリエイターたちの手つきから陶芸にとってむだな部分を削ぎ落としていった結果とも言えるものです。
これは私が最近ずっと直面していることでもあり、かつ考えていることでもありました。つまりは**「クリエイティブな仕事における習慣術」**という話題です。そして私もまったく同感だと思っています。
まずは始める。質はあとからついてくる
才能云々よりも、まずは作り出すこと・作っている状態を持続することが、十中八、九、いや、百中九十九くらいの場合は正しい選択になるのだなあ、ということを、いろんなことを小難しく考える癖のある自分は、毎日のように痛感しています。
私のいうことなんて当てになりませんが、同じことを書いている人は大勢います。
スティーブン・プレスフィールドの「やりとげる力」には、作家として「大変なのは、書くことそのものではない。書くために机の前に座ることが大変なのだ」と書いていますが、それにもこの話題は通じます。
物理学者ニールス・ボーアは「専門家というのは、自分の専門においておかしうる間違いをすべて知り尽くした人のことだ」と言っています。おかしうるすべての間違いというのは、膨大な量です。大学のとき、理論物理学は論理的に正しいことだけを鋭く細く探求する学問だと思っていたときに、この言葉に接して愕然としたのを覚えています。
渡部昇一の「知的生活の方法」にも、カント、滝沢馬琴、夏目漱石の指摘生産がこうした「静かな持続」によって維持されていた逸話がでてきます。必ずしも長時間でなくても、毎日の積み重ねが「仕組み」として彼らの知的生産を支えているのです。
こうしてみると、ただ量を生み出すだけでなく:
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量をたたき出して、その分野における知識を地と肉に覚え込ませるフェーズ
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一定量を持続的に作り出すことによって、生産性の高い状態を自己フィードバックで維持するフェーズ
この二つがからみあっているように見えます。「自分の能力が低い」と思っている人は、「一度まとめて勉強しよう」などと考えずに、毎日最小限の行動を持続して、ゆっくりとそれを広げてゆく方が効果があるのではないでしょうか。
なるほど、ブログを書くときに2、3日休んでしまうとかえって再度始めるポイントを見失ってしまうのもこのせいか!、などと言い訳しつつ今年のお盆休みは早めに終わり!