「のるか、そるか」転職にまつわる不安と希望の一事例
Piecing Through A Major Life Decision | The Simple Dolllar
生きるべきか、死すべきか。ハムレットでなくても、人生に何回かはこうした瞬間があるものです。一つの決断に、その後の人生がかかっている。
「普通の人のためのファイナンシャル・アドバイス」をテーマとしたブログ、The Simple Dollar の著者が、まさにいまこうした決断の瞬間にいます。彼は現在勤めている会社を辞めて、The Simple Dollar を含めた複数の著作業へとシフトすべきかどうか、ぎりぎりの選択をしようとしています。
収入的には、ブログだけではなく、現在進めている本の契約や別のプロジェクトに加え、奥さんの仕事もあるために現状のままでも十分にやっていけるのだそうですが、いくつかの理由があって著作業に移るかどうかを考えているのだそうです。それを彼は包み隠さずに記事に書いています。
まずこの「転職」をするべきだと考える理由が、
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好きなことに集中する:現在の職と家族との時間の間で、ブログや文筆にあてるべき時間がなくなっている。もし文筆でやってけるのなら、仕事をやめて、それに専念した方がよいのではないか?
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子供との時間:子供を保育園に連れて行く日が平日の5日間ではなく、3日間になるので、子供と過ごす時間が増える。週に2日はフルタイムの父親として、子供を図書簡易連れて行ったり、本を読んで聞かせたりする時間が出来る。
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自信:文筆に専念することで得られる収入と、通勤・車・保育園にかかっていたお金を節約できる分とで、生活は十分にできる。
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希望:自分の好きなことで、自分の限界を試してみたい
といったものです。逆に「転職」をすべきではないという心の声には、
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不安定性:収入そのものが不安定になる危険性がある。子供二人と、ローンをかかえる身としては、これは不安が大きい
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才能への不安:自分の才能がどこまで自分を運んでくれるのかがわからない。 ブロガーとしての成功は、きっとプロの執筆業とはまったく違うはずなので、どこまで自分が通用するか正直わからない
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情熱の枯渇への不安:この一年ほどたくさんの文章を書いてきて、自分の情熱を頼りにもしているが、それが将来もこのままだとは限らない。あとで「やめておけばよかった」と後悔したくない
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今の仕事でも問題はない:現在の仕事が嫌いな訳ではなくて、実際やめたらちょっと寂しいとも思う。
というものがあるそうです。ベンジャミン・フランクリン流に良い点・悪い点を、ここまで正直に書いてくれていることに、非常に好感が持てます。
この場合どうすればいいのかは私にはわかりません。きっと誰にもわからないのでしょう。どちらの道を選んだ方が幸せなのか、どちらが正しいのか。私たちは自分たちの決断の先を見通すことは出来ないというのに、決断の時は私たちを待ってはくれません。
こういうときによく目安になるのは、それぞれの決断に自分がどんな感情を結びつけているのだろうかを判断する手法です。落ち着いた環境で、仕事を辞めたときの自分と、そのままでいた場合の自分を想像して、どんな感情が心のなかに生じたのか、自分で自分を観察します。
Wikipedia の「決断」の項目にもありますが、「感情」は、利益になるかどうかがわからない決断を突き動かす大きな要因になっていて、人間はその感情に服を着せるように理屈を組み立ててゆく傾向があります。 たとえば転職先の環境が現時点では知り得ない以上、そこには明らかにバイアスがあるわけですが、こうした私たちの感情の動きは「自分は本当はどうしたいのか」を如実に語ってくれる傾向があります。
そうしたわけで、この性向を逆に利用して、自分の感情から自分の決断を先取りすることも可能なのです。しかしそれは、その決断が正しいのかどうかを保証するものではないことに注意は必要ですが。
The Simple Dollar の等身大のファイナンシャル・アドバイスをいつも楽しんでいますので、彼が思いきって執筆に専念されるといいな、と思っていますが、今はその決断を待ちたいと思います。