Amazon Kindle にあまり燃えない3つの理由

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引っ越しのたびに若いアルバイトの運送屋さんたちをして「いったいこれだけの段ボールに何が入っているんですか?」と悲鳴を上げさせているのが書斎の本です。重いし、かさばるし、圧倒的な存在感があって「ああ、こいつらを圧縮して好きなときにとりだせれば」と本当に思います。

そんな状況を一変させるのかもしれない、Amazon から発表された電子書籍リーダー Kindle のニュースが一巡した頃だと思うのですが、思ったほどブロガーの間での評判が良くないのが目立っています(例1例2例3例4)。Kindle には「火を付ける」という意味がありますが、今のところくすぶっているという感じです。

みなさんの挙げた理由には、

  • 見た目がかっこわるい

  • DRM

  • IDPF の epub フォーマットや、PDF も開けない

  • 白黒のみ

  • ライセンスの制約が多すぎる(貸し借りできない、利用規約に反すると全て削除される可能性もある)

  • ブログを読むのにお金を払う? WTF ?

というものがあってなるほどとうなづいていました。みんな本の置き場所には困っているし、Kindle に対する期待も大きい分、その至らない点にがっかりしているという印象を受けます。

私も時折「理想の電子ブックがあればなあ」と熱が高まるので Kindle のニュースには注目していました。しかし電子ブックについて考えるたびに、どうしても「電子ブックではだめだ」と思う理由があり、今回 Kindle の話題を追いかけながらそれを思い出していました。それらは以下の3つになっています。

ランダムアクセスさが犠牲になる

本のいいところは、さっとつかんで、何百ページでも指で繰ってスキャンできる点です。「小説のあのシーンはどこだっけ?」とか「あのわかりやすかった図表はこのへんにあったはず」といったファジーな検索でも、人間の指と目は数秒の間にこなしてくれます。

試しに大好きな小説を本棚からつかんで、一番好きなシーンを開くまでの時間を計ってみてください。私の場合、12秒でしたが、電子ブックはまだここには追いついていない気がします。iPod touch / iPhone の Cover Flow みたいなインターフェースが実現したら話は変わるかもしれませんが。

本が自分のものではなくなる

本読みとしては、やはり買った本が何十年後も読めることを期待しているわけで、十年先にどうなっているかわからない DRM つきのフォーマットに知的財産を預ける気にはなれません。

また当然ですが、Kindle リーダーが壊れてしまったら買い換えるまで本が読めないというのも、いつでもどこでも読めるという本の良さを殺してしまっています。私の一番の愛読書はすでに20年私とともに世界中を旅して、すり切れて厚みは2割増しになり、18年前に水たまりに落としたときのごわごわ感もそのままですが、今でもセットアップ不要で瞬時に私を遠い世界に誘ってくれます。電子ブックにここまでの Robust さを求めることはできないのではないかというのが、いつも抱く不安です。まるで本が自分のものではなくて、人質になっているような感じでしょうか。

せめて PC と Kindle の両方で読めるというのならいいですし、またモノとしての本を買ったら必ず Kindle 版もついてくるというのなら話は別なのですが…。

本のメタフィジカルな部分が消えてしまっている

以下は本の虫の戯言になりそうですが、自分にとっては重要な点です。

電子ブックにあこがれを感じているのは事実なのですが、それはあくまで雑誌、漫画、ブログなど、消費のための読書に限る気がします。しかし本はそのような消費の目的だけで買われるのではなく、自分からクォリティの高いアウトプットもしたいと考えるから買っている面があります。こうした執筆などの独創的な作業をするときには、 書物は消費されるコンテンツではなく、発想のための触媒、あるいは今はまだ生まれていない何かへの「扉」として機能しているのです。

私はこのブログや、他の書き物をしていて何も思いつかないときに、椅子を回して本棚の方をじっと眺めていることがよくあります。そこには私が学生の頃から無軌道に集めた数千冊の本が所狭しと並んでいて、私はいわば自分の興味と価値観を作り上げた本の集合知に向かって、まだ問いかけになる前の「何か」を見つけようと目を凝らしているのです。

時にはその中から自分を呼んでいるような気がする本が一冊あって、手に取ってみるとまさしく今思っていたことがそこに書かれているというような事もあります。

本がそこに書かれているコンテンツの情報だけの物体ならいいのですが、まだ書かれていないもの、まだ見つけられていないアイディアに向かって開かれた「扉」として機能するには、今のところはモノとして本の存在感がどうしても必要な気がします。

単に私が古い人間なのかもしれませんし、今後 Kindle が iPod のように洗練されてゆく過程でよりよいリーダーに進化してゆくのかもしれません。ただ現状では、電子化によって失うものとそれから得られる価値(整理整頓がすすむ、リアルタイムコンテンツが読める)を比較すると負になっている気がしてなりません。惜しいなあ。

とはいえ、本を置く空間にも限度がありますので、漫画くらいは電子化してしまおうともくろんでいるところですが(切実)。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。