人はお金持ちになりたいわけではない?

ケンブリッジでの研修も後半に入り、朝から晩まで作業に追われる毎日を過ごしています。研修のスケジュールがもともとぎりぎりだったのに、数々のコンピュータのトラブルなどに見舞われて予定はさらに遅れがち。数日の残りスケジュールはさらに大変なことになっています。更新も遅れがちで申し訳ありません。

先日は、地球温暖化シナリオについてのセミナーを担当していた人が、スタンステッド空港からの大渋滞に巻き込まれてかなり不機嫌になりながら30分だけの短い講演をしていきました。

地球温暖化シナリオとは、将来の地球の人口、一人あたりの所得、ライフスタイルなどを仮定して、それらに基づいて二酸化炭素の排出量がどのように変わるのかを描いたものです。こうしたものを作るのには科学者だけではなく、経済学者、社会学者なども参加し、あれこれと議論をして内部矛盾のないものを作らなければいけないことになっています。疲れてぶっきらぼうに話し続ける講師の方は、こうしたシナリオの作り方についておしえてくださっていたわけです。

すると受講者の一人が、一部のグラフの曲線を指さしながら「西側諸国の人が高い所得に安住して仕事の意欲を失ったり、発展途上国でその逆のことが起きないのはなぜか」という質問があがりました。それにたいする講師の方の答えは、うとうとしかけていた私を一瞬で目覚めさせました。それは、

それは、人はお金持ちになろうと努力するのではなく、むしろ身近な人、あるいは自分の年長者よりも良い生活を送ろうという欲望に動かされがちで、その力学は割合普遍的だからです というものでした。この一言には何か非常に深い真理が隠されているような気がします。

この一言は、たとえば職業を選ぶとき、転職をしようとするとき、資格を得ようとするときのモチベーションが、なんだか漠然とした遠い未来の頂点を目指した行動なのではなくて、とりあえずは身近な人よりも「できる」ようになりたいからだということを言ってるわけです。

逆に言うなら身近なハードルがなければ、そうした意欲は減退するわけで、高い目標を抱く前に満足してしまうということになります。

長期的な目標を立てる場合に、何を目指しているのかをイメージするのは大切ですが、そのイメージが自分にとって漠然としたものにならないためにも、なんとなく「お金持ちになりたいな」というのではなく、具体的に「○○のようになりたい」「○○を越えたい」という設定の仕方をしないといけないのかもしれません。

この点についてもう少し聞きたいと思っていたのに、講師の方は帰りの飛行機に間に合わないのでと、この直後に講演を途中で切り上げて帰ってしまいました。 あと少しで何か真理が見えたような気がするのに…残念です。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。